■ 風呂上りの肌になるから、ふるや紙 |
つまり、もともとは金沢箔の製造工程で使われる特殊な使用済みの和紙が、顔の皮脂をよく吸い取るので、それに目を付けた女性が化粧直しに使っていたものがルーツです。そして、しだいにその良さが全国に広がり、需要が多くなったため金箔と同じ作り方で特別に作るようになったのです。
むかし風呂あがりのような美肌になるから 「ふろや紙」 と呼ばれていたこの紙は、湯あがりのさっぱり感、心地良い満足感が得られることでしょう。 |
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サッパリと脂がとれ、お肌サラサラ。 |
これが箔打機!! |
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槌打ちを箔の全面に平均にあてるのは職人の力
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カバンの必需品 d(^-^)ネ!
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金沢あぶらとり紙の秘密
大正4年に初めて開発された箔打機を使い、細い金属のハンマーで点と点で隅々まで高速で打ち続けることにより、紙の繊維を砕き、密度も非常に高くなります。単純なこの事が唯一の秘密です。
これは金箔箔打機だからできる特殊な製法で、金沢の金箔メーカーにしかできません。金を1ミクロン(約1万分の1ミリ)まで薄く打ち延ばす金箔技術は普通の圧延機などでは、とうてい不可能なのです。
その技術を支えているのが箔打ち紙と呼ばれる金箔をはさむ和紙です。箔打ち紙の良否が箔の「のび」や艶を左右します。ここまで薄くできるのは金沢の金箔技術だけなのです。 |
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■ 史上初・澄屋に侵入 |
マニファクチャー(家内制手工業)の世界
金箔の製造は、ただ単純に金を薄く延ばすというだけですが、その工程は加賀友禅のように幾つもの行程をへる複雑で熟練した技術が要求されます。使う機械はたった一種類だけのまったくの職人の世界です。
打ち上がった箔は、透かすと向こう側が見えるほどの薄さになり、これには伝統的技術と技法が要求されます。金の地金から仕上り上澄までを 「澄屋」 、それ以降の工程を 「箔屋」 がそれぞれ担当いたします。
実は、あぶらとり紙は、この澄屋で作られるのです。
今日は、のぶチャンの取引先である金箔屋、タジマさんのご好意により、澄屋の太田さんの作業場へ案内していただきました。じつは専務の田島さんは、のぶチャンの弟と小学生以来の友人でもありますのでこの史上初めての潜入企画が成功したわけです。
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澄屋さん直伝・あぶらとり紙の作り方 |
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何度もいいますが、あぶらとり紙の吸脂力を左右するのは、紙の繊維状態です。
繊維の1本1本が破壊されることにより脂を吸いやすくなり、しかも高密度になるわけですから吸脂力に差がでるのです。すべて職人の感と経験の世界なのです。 |
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最近、打圧していないのに『金箔打紙製法』と表示しているものを見かけることがあります。 |
石川県箔商工業協同組合の定める
『金箔打紙製法・あぶらとり紙』の定義及び製法
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『金箔打紙製法』ロゴマーク |
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このマークが入った商品は箔商工業協同組合が認める金箔打紙製法のあぶらとり紙であることを意味します。
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箔職人が、金箔打ちの技術と勘をもって
(1) 金、銀及び諸箔を製造できる箔打ち機械で【あぶらとり紙】原紙を、丹念に打ち叩き仕上げた【あぶらとり紙】である。
(2) 仕上がった【あぶらとり紙】は、原紙の状態より紙の繊維が、尚一層叩き
潰され、箔打ち機械で紙打ちされた風合いのある状態であること。
解説
ただ単に、上下する紙打ち機械で製造した『あぶらとり紙』は、(※1)の条件を満たさない為、『金箔打紙製法』とは認めない。
箔打ち機械で紙打ちした『あぶらとり紙』であっても、(※2)の条件を満たす為には、相当数の紙打ちの作業時間を必要とする。従って形式的に箔打ち機械で、紙打ちした程度では、『金箔打紙製法』とは認めない。 |
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ココまで来れば、ただ帰るのはもったいない。
最近は、「箔屋」 のする最終工程を体験学習する施設も多数ありますが、
「澄屋」 の仕事なんて見たことない! 何をしているのかじっくりと教えていただきました。
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■ そもそも伝統工芸、金沢箔とは、 |
日本で金箔がいつ頃から作られたかは、わかっていません。でも仏像一つを見ても白鳳・天平の昔から金箔の輝きが日本文化を彩ってきた事は間違いありません。
金沢へは、16世紀後半に京都から移入されたものといわれ、文禄2年(1593)藩祖前田利家が加賀の工人に箔の製造を命じた文書も残っています。
金沢で箔の製造が盛んになったのは歴代藩主の保護奨励策と金沢の職人の打箔技術の優秀さはもちろん、雨や雪の多い湿った気候と清らかな水に恵まれた金沢が製箔に適していたことにもよります。
そして400年たつた現代でも、その品質は高く評価される伝統産業なのです。 |
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澄屋は、1,000分の3ミリの薄さまでします。 |
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機械には不可能な1ミクロンの世界
金箔は純金に微量の銀、銅を加えた合金からつくります。透かすと向こう側が見えるほど、一ミクロン(一万分の1ミリ)の薄さになっても、金の輝きを失うことなく、均一の薄さに仕上げなくてはなりません。
一ミクロンといってもあまり実感がありませんが、1円玉ほどの金合金をタタミ一畳ほどまで延ばすといえば、その薄さをおわかりいただけるでしょうか。製箔は金をただ叩いて延ばす単純な作業ではなく、それぞれの工程で熟練した職人集団の高度な技術が必要なのです。 |
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■ 澄屋の仕事とは、 |
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1、金合わせ → 2、延金 |
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金の地金を炉に入れ溶かし
横にあるローラで延べ板にします。
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金合金の延べ板は6cmの
述金にします。
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これが延金
これを叩けば金色になるのサ。
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バブルの時は金の中に寝ていたョ
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これを叩いて、叩くわけです。
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見よ、これが職人の顔
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1 金合わせ
金箔の原料は金ですが、金の地金をいきなり叩いて薄く伸ばし、箔にするのではありません。まず金合金の地金を作ります。これは「上澄屋」と呼ばれる職人の仕事です。
金地を銀と銅の地金とともに混ぜて炉茶碗に入れます。炉茶碗は最大4kgまで入れることのできる一種のルツボで、1,300度位に熱します。炭素棒で炉茶碗内を撹拌し、完全に鎔解したのを確認したら「やっとこ」で炉茶碗を挾み、金流し台に流しこみます。冷却したものが金合金です。 |
2 延金
金合金を帯状に延ばしたものを、通常「延べ」と呼びます。でき上がった「延べ」は「台切り」で約6cm角の小片に切ります。一般には「延金」はこの小片を指しますが、「延べ」を「延金」、小片の「延金」を「小兵」とも呼びます。 |
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3、紙仕込 |
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代々続く家族中心の仕事
先代もその先代も澄屋・金箔屋
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そこには誰も入りきれない
真剣の世界
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家族が助け合う事を
私たちは誇りに思うョ
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家内制手工業の世界
これが家族の原点なの。
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金箔の破れを修正
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コレもまた勘の世界
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3 紙仕込
延金から5つの段階を経て上澄を作ります。澄打紙(金沢市二俣産の西の内紙と呼ばれる和紙)のうち、12.6cm角の「小兵」と呼ぶ紙に延金をのせ、約200枚ほど重ねます。上下それぞれに打紙として使えなくなった古い「ふるや」と称する紙を、各30枚ほど重ねて当てます。「袋革」でおおい、「乳革」でしっかりとめます。
※それぞれの段階で用いる澄打紙と打ち上がったものは、同じ名称で呼ばれます。「小兵」は澄打紙の名称であり、この段階の金箔の状態の呼び名でもあります。荒金、小重も同様です。 |
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4、澄打ち |
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叩かれ紙を変えるごとに
金箔は薄く大きくなっていきます。
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またも修正が入って、
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三回目の叩きに入る太田氏
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4 澄打ち
延金を紙一杯に打ち延ばし、「荒金」という16.8cm角の澄打紙に移しかえます。荒金を約200枚重ね、同じようにふるやを上下に当て、紙一杯に打ち延ばします。現在は荒金までの段階はハトロン紙(西の内紙を使っていたときは「重」と総称)を使っています。
荒金を4分の一に切ります。約6cm角の小片を、18.3cm角の大きさの澄打紙に入れ、紙一杯まで打ち延ばします。この段階からの澄打紙は現在も明治以前と同じ西の内紙を使っています。21.6cm角の澄打紙を「大重」といい、これに小重を移しかえ紙一杯に打ち延ばします。100分の3ミリの延金を1,000分の3ミリの薄さにまでに打ち延ばします。大重を化粧鋏で整形し、澄打紙の「上り」に移し入れ、艶を消すために、ふたたび打ちます。これが「打上り澄」です。 |
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5、仕立て |
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仕事は変わって、
これからは俺の熟練の世界
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これぞ手練の技
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一瞬の神業サ
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のぶチャンはあそこに落ちている
金箔を見つけました。
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コレでいくら位かな~
もって帰ったらバレるかしら。
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俺かい、俺はいま隠居仕事サ。
息子をよろしく頼むぜ。
俺んちは代々、金箔屋の職人なのさ。
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5 仕立て
打上り澄を30枚ほど重ね、20.1cm角の型を当てて折りまげ、たち包丁で折目から切ります。これが「仕上り上澄」であり、「上澄」または「澄」とも呼びます。澄は三つ折りにして澄箱に入れ、箔屋に届けます。 |
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参考資料 : 石川新情報書府 加賀能登の工芸・金沢箔 |
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澄屋の太田さんの手で1,000分の3ミリの薄さに延ばされたこの上澄は、
この後、「箔屋」の職人さんの手によって10,000分の1ミリほどの薄さの金箔に仕上げて、
みなさまの目に触れるわけです。 |
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★ 金沢金箔の若きリーダ・田島重彦氏にインタビュー |
金沢文化を担っているとの自負と自信 |
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㈱タジマの専務
田島乗彦氏
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会社の2Fでは小売も営業
金屏風から爪楊枝入れまで販売 |
金箔の小瓶。
コーヒーに入れたりします。
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▼ 最近、あぶら取り紙が売れているみたいですネ。
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売れているといっても金額的には大した事ありません。もともと今日の取材で訪れたような澄屋さんが金箔を作る時にでる副産物ですし、職人さんが一枚一枚作る手作業ですので生産量が限られているのです。
でもあんまりお客様のご要望が多く応えられなくなってきましたので今では別にお願いして作ってもらっている訳なのです。つまり私達金沢金箔製造のノウハウ及び金箔職人の技術と経験と勘で約3万回以上の回数で箔打ちされた物だけが「金箔製造・あぶらとり紙」なのです。 |
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▼ それだけ念を押されるということは、偽者が出回っているという事ですか? |
のぶチャンにお出ししている、私どもが製造している「金箔打紙製法・あぶらとり紙」は、先ほどお見せいたしました石川県箔商工業協同組合の定めるの定義及び製法に従って製造されたものです。
したがって、一般市場に出回っている「あぶらとり紙」とは比べられないほどの吸脂力で消費者様からの御支持を長年いただいております。
それ以上のことは、ご推察下さい。 ( ̄~ ̄;) |
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▼ 本業の金箔の方の仕事はいかがなものですか? |
やっぱりバブルの頃は仕事に追われて追われて、すごかったですネ。あの当時、金箔を文化とか美術とかで見ていたのでしょうか? 今になってみれば疑問ですね。
今は当社の多数の職人さんとそのお弟子さんに仕事をだすので目一杯です。でも彼等の一人一人が「自分たちが金沢の文化を担っている。」との意識で頑張ってくれていますので、何とかこの文化を全国に浸透させたいですね。 |
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▼ ヨーロッパでは生まれた子供に金貨を握らすそうです d(^-^)ネ! |
良く知っていますね。これは、お祖父ちゃんが生まれて一時間以内の孫に金貨を握らせる習慣です。そうすればこの子は一生豊かに暮らせるとされています。
また、日本でも金は肌身につけていると魔除けになるとされ、東西南北いづれからも福を招く、招福厄除と言われています。うちで作られた金箔のアクセサリーを身につけると良い事がきっと有りますョ。 |
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インタビュー後記
「金箔のタジマ」の専務の田島乗彦君に初めて会ったのは彼がうちの弟と遊んでいた小学生ぐらいの頃だったから随分とたってしまったナ~。そういえば彼は高校生の時、うちにバイトにも来ていた記憶もあるゾ。
マア、そんな事は関係ないか。 昔ながらの職人の手作りでの良質で信頼のおけるものだけを製造・販売するというこだわり、金箔という文化と美術を担っているとの自信と情熱を感じたインタビューでした。 乗彦君、いや専務。 今度一回飲みに行こうか!! |
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