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トクトク大事典

【トクトク大事点】金沢のトクトク大事点


店長のぶちゃんが直接、見た事、聞いた事、感じた事をレポートします。



いつでも真剣

金沢の港町・大野

生まれてすぐの醤油

こだわりの商品

米に糀を打つ


自分の身の回りにある、ちょっとお得な情報
自分だけが知っているだけでは、もったいない情報
金沢近郊の「おいしい物」を作っている所の情報などなど・・・

*********************

「金箔の街・金沢」あぶらとり紙と金箔
金箔の生産高は日本の98%以上。ここで作られるあぶらとり紙とは・・・。
 
「醤油の里・金沢 大野町」を訪ねて
400年の歴史をもつ世界5大産地の大野町を訪ねた

「食品スーパー・カジマートの戦略」
常に大手の草刈場となりやすい地場のスーパーの戦略とは。

「心づくしの宿」
建物・施設などのハード産業からの脱却を目指す、日本旅館の試みとは。

「仕事ができる人・できない人」
堀場製作所の会長が贈る「世界戦略」と「個の時代」とは。

「金沢の文化と経営」
創業以来400年にもなろうとする
酒蔵「福光屋」はどのように時代を乗り越えてきたのか!

店長のぶちゃん発、4つのWEBマガジンです!

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【トクトク大事点】金沢の文化と経営

◇金沢式経営学・風と土

ありがとうございました

金沢の文化と経営

金沢式経営「風」と「土」とは

                  ㈱福光屋 社長 福光松太郎  
純米吟醸の初しぼり
福光松太郎氏 吟醸新酒 2001



米どころ、酒どころの石川県のトップブランドであり、特定名称酒(一級と特級)では全国六位の
「福光屋」は、1625年の創業以来376年間、時とともに変化する価値観や嗜好を敏感に感じ取って
時代にあった、酒を常に送り続けてきました。
その秘密は、金沢の「文化と文明」を「土と風」に置き換えての、金沢の歴史認識のもとにした企業戦略であった。

古い民家を利用した寿司屋
 ■ 文化と文明 ( 土と風 )

     ・ 地域の歴史がもたらすDNA「土」 (10年ごとの文化断層が見られる)
               と
     ・ 時代の「風」 (コロコロ変わる日々の風)

 (1) 金沢の「土」 (江戸時代に育った、金沢文化のバックグランド)
      城下町の文化        千宗室・小堀遠州などの一大プロデューサーを招く
                       木下順庵・室鳩巣・貝原益軒などの学者も招く、サロン化
      工芸の発達          工芸的・職人魂の誕生と伝統
                       職人の格の向上(京都と比較すれば歴然)
                       一大工芸センターの設立(城内の細工所)
      内発的発展         町民の会合の禁止→個人宅に集まる
           ↓                          ↓
        町民文化の発達         仕出し発生・料理屋の発達・謡の発達
                                      ↓
                            目利きの多い消費市場と「もてなしの心」の発達
                             (金沢では、特定名称酒が八割を占める。秋田は三割。)

 (2) 時代の「風」
     成熟の時代(⇔成長の時代) : 要素  不安・刹那・二極化・都市化・エコロジー ets
         三つのキーワード
               安心     人と人、人が集まる。→ネットワーク
               感性     ライフスタイルの多様化、商品・サービスの嗜好品化
                               ex. 車:燃費・性能のデーターから感性へ
               女性     美しく生きる
                       顧客になれば口コミで広がる。 女性の時代
       売り手と買い手の間の垣根の喪失(ITがもの作りを変える)
                      ↓
                  1つの会社に所属するだけでよいのか?

静かに聞きほれる慣習
福光屋400年の秘密がいま解き明かされる。
 ■ ソフトとしての産業とこれからの金沢式経営

 (1) クラフトプロダクションを目指す
       イタリアに挑戦 :感性のある物づくり、職人、嗜好品つくり
               ex. 芸術の大樋焼と紙コップの間 ⇒ 限定的生産・高価値(中の上価値)へ
                                           ↓
                                    供給(大量生産)から ⇒ 提案(限定生産)へ
                                           ↓
                                     ブランド力・価値を構築する

 (2) 企業連合(金沢式経営のあり方)への提案
      北イタリアの成功 :平均事業所社員数 3人
            企画(コンバーター)  ⇒    企業連合    ⇒       全体に対しての、
                         (何百社の事業所をチーム化)        税金・総務・経理 ets
                                 ↓                      (効率化)
                            完成後、チーム解散

 ■ 福光屋の企業戦略

 (1) 活動領域の明確化
      ・特定名称酒しか造らない

 (2) 企業目的の明確化
      ・おいしい日本酒を追求する
      ・より深い食文化を提案する
      ・楽しいコミニュケーションをお届けする

 (3) 活動拠点
      ・金沢の酒蔵にこだわる
      ・金沢の大きさが酒を育てる      ⇒ 石川県を酒の名産地に!
      ・金沢から世界に発信する           (県内では、酒蔵どうし手をつなぐ)

 (4) 善循環をめざす   
連結を目指す
  「黒帯」など具体的に稼動中

 (5) 微生物主義
      ・酒は、人が造るのではない
      ・人が微生物の活動を助ける
      ・人の都合で酒造りを変えない

機械が造る酒 人が作る酒 酒造りの伝承は、

 60%が、科学的根拠あり
 20%が、科学的根拠なし
 20%が、いまだ不明
・その時だけで進歩がない 
・時がたてば⇒お客様の感性が先に行く 
・さらなる進歩がある 
・100年後もある

    技術の進歩
        精米機が、足踏みから水車になった時 ⇒ 美味くなった。(熱燗が出来るようになった)
        「バイオテクノロジー」 ⇒ 「麹」  新しい味の提案

 (6) 風土主義で考える

   ・風とは何か?    (変えるべきもの)
   ・土とは何か?    (変えてはならないもの) 

   社会が変わると、嗜好が変わる    
戦後~復興期 (肉体労働) 甘口
経済復興期 (頭脳労働) 辛口化
現在 (ストレス社会) 軽い
すっきり
すっぱい

     目標 : うまくて、軽い酒!    熟成させた「黒帯」や「つぼみ」
             ↓
           商品開発 : アンテナを張り、感性を磨く
                          ↓
  造る酒の感性を杜氏に伝えるためのデーター化・言語化(コミニュケーション)に1番時間がかかった
                現在、稼動中    企業秘 

 (7) 伝統とは、革新の連続である

     ・伝統は創造する
     ・世界へ広める
     ・この時代を預かる

          父の時代の時の酒はない、お客様も同じではない。


これは、2月20日 中小企業家同友会に福光松太郎氏をお招きし「これからの企業戦略」と題し、懇切丁寧と講演を行っていただきましたものを、まとめたものです。
あらためまして、福光松太郎氏ありがとうございました。

福光屋さまのサイトは、 //www.fukumitsuya.co.jp/

試飲もかねて
各テーブルで討論

実行委員のメンバーで打ち上げ
のぶチャンは後ろの真ん中です。
今年の戦略商品・吟醸酒。

【トクトク大事点】仕事ができる人・できない人

◇仕事のできる人できない人

仕事ができる人・できない人
講演 : 堀場雅夫
6/14に日経新聞主催で堀場製作所会長・堀場雅夫氏の講演を聞いてきましたのでUPします。

堀場製作所:昭和28年に設立された京都ベンチャー企業の草分け。
現在、売上げ300億円の一部上場企業です。
この会社の強みは、分析機器の分野での世界最高の技術開発力です。
特に自動車の排気ガス測定装置では世界シェア80%にのぼります。
創業者の堀場雅夫さんは、いまは会長職にあります。
堀場さんのモットーは「おもしろおかしく」。これは会社の社是にもなっています。


 ■ 世界標準

 現況:閉塞感に満ちた日本
     
   ( 1) バブル後→自分の納得する考え方で行動している本業のみ残った
                「果報は寝て待て」 の持論が崩れた
           戦後復興・成長の影には米のサポート
                 ↓
           米を脅かす80年代
                 ↓
           工業所有権・著作権などで米の利益を追求
                 ↓
           日本の「失われた10年」
                 ↓
           アメリカ・キャッチアップからの脱却が必要!

   (2) 日本の社会が「新しい物」「新しい発想力」を押さえてきた
      )JISからISOへの標準規格の移行  (アングロサクソンスタンダード)
                  単民族規格から多民族向きのきめ細かい規格へ
      )マックVSウィンドウズ
            「性能・価格・使いやすさ」 マックが上
                 三悪のウィンドウズ 「性能が悪い・高い・使いにくい」
                          ↓
                  ウィンドウズが世界標準

   (3) ジャパニーズ・スタンダードを世界標準に!
                 ↓
          世界標準以外、事業にならない!

          冷戦終結→熱戦の開始 ・ 資本主義経済の矛盾拡大

      )富の偏在(一強多弱)
      )環境問題(製造→消費→廃棄)
             廃棄にもエネルギーが要る
      )科学技術の進歩⇔資本主義経済の両輪
                 ↓ 人類に利益を与えてきたが、
            「幸福」と「問題点(モラル)」の区別の境目


 ■ アイデンティティー(個の時代)


  20世紀・「集団の時代」
        ↓   国の中の自分・会社の中の自分・集団の中の自分
        ↓   革命・発見は個の仕事だった
        ↓        マルクス(共産主義)・アインシュタイン(相対性理論)
      21世紀・「個の時代」(個の時代の産業を探せ!)
                 2001年小泉の個が動いている

           「滅私奉公」から「活私奉公」へ

   (1) 地方都市も個の時代
        米のワシントンには限定的機能しかない
        フイリピンのマニラには全てがある。(途上国に顕著)
              ex.京都の会社
                    本社を東京に移転 ⇒ 「都落ち」と非難・批評
                    昔からの伝統をベースに産業を構築
                            清水焼       セラミックス
                            友禅     ⇒  IC
                            仏具         精密機械
                            カルタ        ゲーム

          八合目からの産業(山の登頂と同じ・ベースキャンプが必要)
                  何もない所から新しい産業は生れない
                          ↓
                     いかに近代産業に結びつけるか

   (2) 国家のアングルサクソン化に対処する
          個が活きるか死ぬか(存在その物が個性)
          日本標準を作ること
          自分の哲学・自分の価値観を持たなければ捨てられる

      )個からスタートして、「共鳴」「共感」を呼ぶ事が必要      
      )自分の存在を評価できない人はダメ
                  ↓
              自分を大切にしない人
                   自然科学で評価すれば千億以上の価値がある
                   人間の能力の1%も使つていない

             インターナショナルとは、
                   ↓
                世界を理解し、自分のアイデンティティーを持つこと
                       ルイ・ヴィトン:熟女用メーカー・対日本人2桁アップ
                           個がないから若い子が持つ

      )仕事ができる=自分のアイデンティティーを持つこと(生きる証)

              仕事が楽しい人 ⇒ 仕事ができる
                           社是・「おもしろおかしく」

              嫌ならヤ・メ・ロ ⇒ 嫌と言うほど仕事をしたか?

          「過去」   人・物・金 が絶対条件
           ↓
          「現在」   人を感動させる、が絶対条件
                         あいつは素晴らしい
                         魅力的な発想

               「北京で蝶が羽ばたけばニューヨークにハリケーンが起こる」
                          もはや、原爆の時代ではない

 ■ おまけ

   (1) 京都ベンチャー評議会での「人の目利き」
             人を見る目は「エモーション(感じ)」と「インスピレーション」

   (2) 世界各地のアイデンティティーの発見方法
          「たばこ」「お酒」「料理」



【トクトク大事点】心づくしの宿

◇心づくしの宿・ホテル大橋屋の秘密


「心づくしの宿」の
実現を目指して

私達は、心を一つにし、力を合わせて
お客様のおもてなしにつとめます。

露天風呂 客室
今回は、2000年度新潟県経営品質賞奨励賞を受賞された
「ほてる大橋屋」 における経営品質に対する取組事例発表で、
6/14に実施された6月度北陸経営品質フォーラム月例会報告です。

経営品質とは、企業の大小・業種を問わず、自社の強み・弱みを「顧客の視点」から評価する手法です。

ホテルの入り口
立地:新潟県西蒲原郡岩村    燕三条インターより30分
商圏:新潟県および関東一都六県がメイン
客室:52室・最大収容数304名            www.oohashiya.co.jp (毎月曜日更新中)


 ■ 「オンリー・ワン」への追求

(1) S30年代
         生活文化の(扇風機・冷蔵庫ets)進展に追われながらの設備投資
         旅館=水商売の時代:社会に認知されていなかった

(2) 94年まで二回の設備投資
         旅館の魅力・競争力=ハード(器)建物であった
                ↓
            次の時までに資金をプールできるかが問題
                  ハード面だけが勝負の設備産業化していた

        15年前、「オンリー・ワン」の時代を示唆された
               当時:男性中心の金を投げ捨てる遊び(団体客中心)
                ↓  岩室温泉:新潟・芸者発祥の地・女子供のこれない温泉
             バブル後:94年三回目の設備投資
                    バブル前の予算の半分ですんだ 坪150→ 75万

       「地域と生きる経営に脱皮」を目指す。(家族・婦人客中心)
                   女性の時代(こまやかな表現のできる宿)
                   きめこまやかな仕事(心に訴える)
                   薄利多売・口先だけの従業員は辞めていった

ホテル全景 大浴場 夏には蛍の乱舞も見られる
 ■ 社員との意識の共有化 「心づくしの宿」


古くなっていくハードをソフトでおぎなう

    (1) 社是(スローガン):変化への対応と基本の徹底
           )お客様の立場に徹底して立つ
           )いかなる状況の変化に対しても、対応・適応できる経営

    (2) サービス宣言
            一期一会の心

    (3) 中期経営計画
            ボトムアップによる全社一丸の取り組み
                   ↓
              オンリー・ワン化を追求 : 岩室温泉=ほてる大橋「館の湯」を目指す

    (4) 経営品質への取り組み(旅館業では加賀屋が第一号)

    (5) 環境問題(社会責任と企業倫理)
           )生ゴミの処理:EM菌による堆肥化
               無農薬の野菜作り(自社農場)
                     お客様の食膳に提供(アピール度大)
          )遠赤外線セラミックの利用
               マイナスイオン発生による「活性化」 
                     冷蔵庫・貯水槽・押入れ ets
    (6) ノークレームの宿
           各部署における三種類の「連絡伝票」:クレームにならないクレーム
                  ↓                 お褒めの言葉
                  ↓                 声なき声
           社内LANで情報の共有化
                  ↓  )リピーター作りに役立てる
                  ↓  )経験者が仕事を教え、若い人がPSを教える相互研修の場
                  ↓  )経営戦略
                  ↓      団体客・グループ客主体から個人客にシフトさせる
                  ↓      エージェント依存からの脱却(現在55%)
           経営品質が社員に形として浸透した
                         接客伝票に自分の仕事に対する反省が入る
                         フィードバックレポートで改善点を抽出

    ⑦ リピーターの獲得
          )ホスピタリティーへの追求
                  力石寛夫著・「ホスピタリティー・サービスの原点」から始まった
                          新入社員には入社前にレポート提出
          )かかってきたTEL番号とデーターベースの連結
                  リッツカールトンHではお着きの段階で名前・顔が一致
          )社長の思い込みから全社員へ
                  主任以上の合宿→トップダウンから逆ピラミッドへ
          )お客様アンケートの有効利用
          )夜間の病院の確保
              ナイト・フロント3名化
              車椅子のお客様対応

生ゴミを粉砕して
EM菌を使って腐養土にして
自家菜園にて活用しています。
質疑応答より
石川県の印象

    (1) 浅田屋の取り組みに感動
           六角堂:出来立てのシズル感・パフォーマンス・接客
                憧れを持ってくる人に夢を表現できる
                    ↓
             金沢の土地柄を意識する・食文化が高い 
                  新潟では出来ない・食にお金をかけない
    (2) ランプの宿
           ブランドの確立
           あの場所に、あのおもてなし
                  お客の求めている物を出している
                        ↓
                  金沢に求めている物とは違う

    (3) 東急ホテル
            金沢での定宿:利便性

                                               以上
   


【トクトク大事点】食品スーパーカジマートの戦略

◇食品スーパー・カジマートの戦略

食品スーパー
カジマートの戦略

高いから売れないの常識をくつがえせ!

金沢・桜田店 棚に並ぶドレッシング
カジマートが心掛けているのは、
「遠くからでも行きたい」 とお客様が思ってくださるような魅力ある店作り。
報告:カジマート・専務取締役 鍛冶一雄
講演の様子

 ■ 創業:大正初期
 
       設立;昭和26年2月1日 
           昭和38年 中央店オープン
           昭和48年 宇ノ気店
           昭和52年 みなみ店
           昭和59年 太田店
           昭和63年 みなみ店リニューアル
           平成3年  宇ノ気店リニューアル
           平成6年  高松店
           平成8年  桜田店
           平成13年 ベル福光店

創業以来、以上のように着実に業容を拡大してきたカジマートですが、さまざまな競合店が進出してくるなかで、こだわりの商品、価格競争はしないという方針を貫いてこられました。
また、20年前、お多福のお好みソースの販売に石川県で初めて取り組まれてヒット商品として定着させるなど、進取の気風にあふれた社風を持っておられることを感じました。

報告者の鍛冶専務 レストランも併設している 店内の様子

なかでも商品政策には特別のこだわりを持っておられ、従業員さんと一緒に試食を行ない、全員が納得をしてからお客様へ販売するという地道な姿勢を貫いてきました。
こうして定着してきたおいしくて品質の良い商品は単価が高くても、不景気でも売れることを実証しておられます。ごまドレッシング、かつおだし、酢、豆腐、小豆、無添加みそ、マヨネーズ、アイスコーヒー、いち早く取り組まれた有機野菜、なかでも桜田店の集客に大きく役立った電子イオン水はポリタンクに一日2,000本販売されるなど、健康、本物志向、製造方法にもこだわった安全な商品を常に開発し、環境問題へも積極的に取り組んでおられます。

 ■ 大手の出店


競合店のおかげで強くなった

    )大手A社の進出
       ドレミ・スタンプ会(100円で1.7円のスタンプ・バック)で対抗

    )平成6年 B・C社の出店
       野菜・肉を半値で販売され、15%~20%の売上ダウン
            ↓
        対抗して半値販売
            ↓
       3ヵ月で終戦せざるをえなかった : 経済的理由 
            ↓
     方針転換:「うちはうちのやり方で!」   半年後、売上前年並みに戻る

  )平成9年 大手ディスカウンターD社進出  
       価格競争はしない → ややマイナスで推移     B・C社は廃業 

こだわりの商品
7時を過ぎると売り切れ続出
胡麻ドレッシングは戦略商品
 ■ 「秀」へのこだわり(先代社長の食道楽から派生)

大手と同じ土俵では戦わない 

  )高いカジマート
      一品あたりの価格:石川平均200円・当社220円
     価格競争からの回避・ワザワザ買いにきていただける「高価値の商品」作り 
           ex.お多福のお好みソース:20年前から販売・朝岡の香辛料

  )高価値だが無名商品の開発・定着 
      ①従業員・パートに食べさせて、納得させての販売
      ②お客様に試飲・試食させての販売・啓蒙
         ex.「胡麻ドレッシング」野菜にかけないで試飲させた
                 高いから売れないの常識がくつがえった
      ③商品知識の従業員への教育・普及
         5年間かかった
      ④有機野菜へのこだわり
         16年前、北海道「大地の会」のジャガイモが最初
            通常150円を280円で販売 → 高くて販売不振 → コロッケで販売
               バブルの頃、定着 

    野菜の価格は、3割アップまでが限界 ・ 調味料の価格は、倍までOK

桜田店の全景
草原牛乳
オイシカッタニャー~(=^・・^)ノ>゜)##)彡

 ■ 新たなる挑戦

   )金沢・桜田店・新規出店(平成8年)
        住宅が少なく、アパート多い・半径2.5Kに5店のスーパー(オーバーストアー)
        誰もが出店を断った店を出店

      ①カード戦略
        オープン時、半径10Kにチラシ10万枚配布 → 経費増大が負担に(2ヶ月後)
              カード戦略に切替
             ポイント制・月一回のダイレクトメール・チラシの廃止(3年めに実施)     
      ②電子イオン水販売(平成12年6月)・ポリタンクに一日2,000本販売
            現状:半径500mに200軒の民家 → 平日が弱い
            日祭日には、小松・富山からも来店 → 商圏拡大
            サティー・マルエーの出店で競争激化中

   )富山・福光店・新規出店(平成13年)
        日本一安い一品あたりの商品単価(170円)
        ディスカウンターになれた県民性 → 知らずに出店
          オープン時、6割引では動かず(富山市内9割引が日常)
            「胡麻ドレッシング」 「豆汁」「豆腐」 は、定着(普通品・豆200Kで1000丁・豆汁400丁)

   )これからのカジマート

       ①地域の食生活に貢献する
       ②有機野菜に代表される「安全」「環境」「ゴミ」への視点
          健康、本物志向、製造方法にもこだわった安全・安心な商品を常に開発
              ex. バラ売り・ 商品として 門前・山形のSPF豚・南部鳥など 
       ③対面販売の強化
          人と人・コミニュケーションの重視・昔の八百屋・魚屋を目指す
             ex.お客さんの名前・家族構成を知っての呼びかけ
       ④電子イオン水の普及
          設備投資800万がネック

質疑応答より
)レストランを併設の理由
        商品の再利用、付加価値を付ける、商品の開発など 
)店によって売れるものが違う(太田店、みなみ店、福光店)
        要因:地域の町の成立状況
            ex. 新興住宅・旧市内など

この報告は、6月21日・石川県中小企業同友会の兼六支部6月例会をレポートしたものです。
   


【トクトク大事点】醤油の里・金沢 大野町

◇醤油の里・金沢 大野町

醤油の里
金沢 大野町

潮風も心地よい港町は
歴史と希望が詰まった宝箱だった。

醤油の攪拌・オリ引き 熟成を待つ醤油たち
「おいしい店」も出店している「お店ばたけ」では、
第一回オフ会をかねて金沢の大野町へ 醤油造りの見学に出かけました。
まずは、醤油ソフトで名高い「もろみ蔵」へ、そして「ひしほ蔵」へ行き、
金沢で過半数のシェアを占める「直源醤油」へと、ツアー・トリップしました。


古い民家を利用した寿司屋
 ■400年の醤油の町
3代藩主前田利常が加賀を治めた元和年間(1615~1624)に、大野の町人・直江屋伊兵衛が醤油発祥の地、紀州湯浅で醸造法を学び伝えた。その頃は関東にも醤油の技術は伝わっておらず、大いに町は栄え醤油の五大産地の一つ(五大産地:野田・竜野・銚子・大野・小豆島)として数えられ、北前船の交易により日本中に運ばれました。

江戸時代、大野町は500世帯のうち最盛期には60軒が醤油の醸造所であったと記されています。
醤油を造るのに多数の人がいりますし、それを販売する人、また、醤油醸造所は大豆の買い付けのため廻船問屋も兼務していましたので、船乗りや事務、そのバックヤードの人たちも含めると大野町のほとんどの人が醤油の製造販売に携わっていた事がわかります。
戦後、急速に大手メーカーの寡占状態になり、一時は10件になり現在は28件が醤油を製造しています。
港町の風情が漂う
海から河北潟へと続く

大野町は200~300石船が出入りする港で、江戸初期には能登の大豆と塩を使っていたものが、海を使い東北の大豆を運んできて醤油を造りその船で全国に販売、帰りにまた荷を運ぶというシステムを作り上げました。
ちなみに、海の百万石の豪商といわれた銭屋五兵衛は、すぐ隣の千石船も出入りできる金石の町の人でした。

変化への対応! (風をつかめ!)

醤油の趣向の変化・個店からスーパーへの販売チャンネルの変化は、大手メーカーの寡占を生み出し、大野町の地盤沈下は金沢の周辺部でありながら人口の減少が町全体の緊急課題ともなってきた。

昭和46年大手メーカの価格に対抗するため大野協同組合を設立し「生揚(きあげ)」まで協同で行うことによって低価格を実現した。
また、町づくり委員会もつくられ、魅力ある大野の町づくりを目指さし、その一環として「古い町・蔵の再生」が進められています。現在38軒ある「醤油仕込み蔵」の活用として始められたのが、異業種13軒の協同組合で始められた「もろみ蔵」である。

 ■「もろみ蔵」
喫茶店とギャラリーが併用されています。
現在、観光客も含め多数の人が訪れ、まず第一歩は成功。目玉は「蔵」と「醤油ソフト」
この辺りに醤油工場が乱立している。
一歩中に入ると醤油の匂いがします。 醤油タルでテーブルとイスが
つくられています。
天井は醤油のモロミが飛び散って真っ黒です。 そして床は土間で、白壁!
現在は、一見ギャラリー風です。
●街の歴史と夢を語る。
左手の人が直源醤油の次期当主
のぶチャン醤油ソフトにビックリ!
醤油の香り・キヤラメルの味!
感想をつづるノート。学生が多いです
大野の町再生のリーダーであり、舵取り役である山本晴一は、ヤマト醤油味噌の専務でもあるため、率先して 自社工場に隣接して工場製造の醤油・味噌を展示販売するためのショールーム「ひしほ蔵」を作り情報発信
 ■「ひしほ(醤)蔵」
醤油と味噌のショールーム・展示販売されています。
ヤマト味噌のショールーム
違う味の醤油ソフトを食べれます

奥さんが元気に接客
ここでは、味噌も自家製造しています。
看板が歴史を伝えます。 社長は大野町づくりの中心人物です。
昔は、タルに醤油を入れていました。
奥さんのお土産ですか?
昔の雰囲気が残る工場
大野で醤油醸造が盛んになったのには2つの理由があります。
一つには、水と原料に恵まれていたことです。
霊峰白山の清冽な水が豊富に湧き、また北前船の寄港地であったことで麦や大豆、能登の塩などの調達も容易だったからです。
もう一つの理由は、金沢が武家文化の中心地であったことです。金沢は江戸期において、江戸・大阪・京都に続く大都市であり、一大消費地であったということです。
日本海と加賀平野の山海の珍味に恵まれた金沢では、武家をはじめとする上流社会の嗜好を満たすために料理法と大野の醤油が発達し治部煮をはじめとする絢爛豪華な加賀料理の伝統の一翼をにないました。
大野町は、金沢市の「こまちなみ保存」の指定も受けました。
小さな路地・路地にロマンが感じられる。 通り過ぎる旅人の心です
お店ばたけの参加者も
タイムスリップした気分
こんな家がたくさん残っています
 ■「直源醤油」
地元消費量の最大の供給メーカー・自社の もろみ蔵はショールーム「源兵衛」として活用
伝承によれば直江屋伊兵衛の直系の子孫で、代々直江源兵衛を名乗っています。
伝承が事実ならば400年の歴史
「お店ばたけ」のみんなで戸を開けると
そこには歴史が残っていた

吹き抜けの天井
家中が古色で光っている
もろみ蔵 源兵衛の展示物
みんな、しばしの休憩

再び、醤油の町へ (こだわりの醤油を求めて)

「各家に伝わる伝統の職人の技を消す協同組合が、本当に大手メーカーに対抗する唯一の手段だろうか?」との疑問をもつ直井さんの言葉に心をくすぐられた「のぶチャン」は、日本中に通 用する金沢の味を求めていた日本一の宿として高名な「加賀屋」の銀座支店・調理長と日本海側で一番の歴史と格式を誇る料亭・金沢「つば甚」の料理長とともに再度、「直源醤油の工場見学」に訪れました。

 ■まずは、もろみ蔵 源兵衛を見学
中央に見える旗は、かっての持ち船のもので 5隻の旗が現存しているそうです。 醤油屋が回船問屋を兼務していた証拠です。
「つば甚」の調理長・川村氏
モロミが飛び散って黒くなった天井に見入る
加賀屋・銀座店の調理長・安田氏
醤油の歴史をひも解く
【醤油の作り方】
 醤油は、大豆(または脱脂加工大豆)・小麦・食塩の3つを主な原料として造られます。
 まず蒸した大豆と炒った小麦をひき割って混ぜ合わせてから、麹菌を加え麹をつくります。
 麹菌が育成しやすいようにデンプンをα化し、たんぱく質も変性されます。
 麹と食塩水を混ぜて発酵させ、6ヶ月から1年間、ゆっくりと熟成させたものが諸味です。
 諸味をしぼって液汁と粕に分けます。その液汁をろ過したものが生揚(きあげ)醤油です。
 この醸造工程によって、たんぱく質やでんぷんから数多くの醗酵生産物が生まれます。
 これは人体にとって欠くことのできない貴重な成分であるとともに、
  醤油のうま味も醸し出しているのです。
 ■新工場を見学
生揚げされた醤油のオリをのぞく
次期当主・直江潤一郎氏の
説明に聞き入る。 調理長のほか、
若いスタッフも見学に参加
味を加味され、 熟成を待つ醤油たち
熟成された醤油はミクロフィルターで、 まず不純物を除き火入れされる。
なんと! ろ過材には能登の名産
珪藻土が使われていた!
クリーンルームでは気圧を高め
埃・微生物の侵入を防ぎ、
充填作業が行われる。
次々と完成品が出てきて、
ラベルが貼られる。
梱包作業へ
試食? 試飲?
醤油とコーヒーは辛かった。
 
(^。^/)ウフッ




【トクトク大事点】金箔の街・金沢

◇金箔の町・金沢のあぶら取り紙

金箔の街・金沢

あぶらとり紙 と 金箔

戦前の金箔工場 金箔打ち紙製法のあぶらとり紙

金箔は金閣寺をはじめ寺社、仏像や仏壇、陶芸漆芸、桃山時代の豪華絢爛たる屏風や襖絵にと
その輝きと色で美術品の芸術性を高めるだけではなく、耐久性においても大きな役割を果たしています。
金沢はその金箔の99%と以上を生産する金箔の街なのです。

ほんとに良く取れるの。
  金箔を作るには、純金の板を特殊加工した和紙 「箔打ち紙」 (ふるや紙ともいいます)に挟み、
1000枚位を一束にして製箔機で打ち延ばして作り上げます。
金箔をはさんだ箔打紙は1トン余りの力で毎分800回以上も叩かれ、
紙の繊維がつぶれてなめらかでツルツルになり吸脂力が高まります。
これが脂とり紙として金沢や京都の舞子さん、芸妓さん、映画俳優などに愛用されてきた秘密です。
その抜群の吸脂性と実用性は、歴史と技術を誇る金沢金箔と共に他の追随を許さないものです。


 ■ 風呂上りの肌になるから、ふるや紙
つまり、もともとは金沢箔の製造工程で使われる特殊な使用済みの和紙が、顔の皮脂をよく吸い取るので、それに目を付けた女性が化粧直しに使っていたものがルーツです。そして、しだいにその良さが全国に広がり、需要が多くなったため金箔と同じ作り方で特別に作るようになったのです。
むかし風呂あがりのような美肌になるから 「ふろや紙」 と呼ばれていたこの紙は、湯あがりのさっぱり感、心地良い満足感が得られることでしょう。
サッパリと脂がとれ、お肌サラサラ。 これが箔打機!!
槌打ちを箔の全面に平均にあてるのは職人の力
カバンの必需品 d(^-^)ネ!

金沢あぶらとり紙の秘密
大正4年に初めて開発された箔打機を使い、細い金属のハンマーで点と点で隅々まで高速で打ち続けることにより、紙の繊維を砕き、密度も非常に高くなります。単純なこの事が唯一の秘密です。
これは金箔箔打機だからできる特殊な製法で、金沢の金箔メーカーにしかできません。金を1ミクロン(約1万分の1ミリ)まで薄く打ち延ばす金箔技術は普通の圧延機などでは、とうてい不可能なのです。
その技術を支えているのが箔打ち紙と呼ばれる金箔をはさむ和紙です。箔打ち紙の良否が箔の「のび」や艶を左右します。ここまで薄くできるのは金沢の金箔技術だけなのです。
 ■ 史上初・澄屋に侵入

マニファクチャー(家内制手工業)の世界
金箔の製造は、ただ単純に金を薄く延ばすというだけですが、その工程は加賀友禅のように幾つもの行程をへる複雑で熟練した技術が要求されます。使う機械はたった一種類だけのまったくの職人の世界です。
打ち上がった箔は、透かすと向こう側が見えるほどの薄さになり、これには伝統的技術と技法が要求されます。金の地金から仕上り上澄までを 「澄屋」 、それ以降の工程を 「箔屋」 がそれぞれ担当いたします。
実は、あぶらとり紙は、この澄屋で作られるのです。
今日は、のぶチャンの取引先である金箔屋、タジマさんのご好意により、澄屋の太田さんの作業場へ案内していただきました。じつは専務の田島さんは、のぶチャンの弟と小学生以来の友人でもありますのでこの史上初めての潜入企画が成功したわけです。

澄屋さん直伝・あぶらとり紙の作り方
エ? うちの取材かい。
なんだい、あぶらとり紙かい。

いいかい、このように紙を重ねて
ずれないように押さえ込む
おまじないを少々

叩くんだナ、ただひたすらに 隅々まで均等に、
上下を入れ替えて

叩く、叩く、叩く
ただひたすら
これで出来上がり。
「金箔の作り方はいいのかい。」
何度もいいますが、あぶらとり紙の吸脂力を左右するのは、紙の繊維状態です。
繊維の1本1本が破壊されることにより脂を吸いやすくなり、しかも高密度になるわけですから吸脂力に差がでるのです。すべて職人の感と経験の世界なのです。
最近、打圧していないのに『金箔打紙製法』と表示しているものを見かけることがあります。
石川県箔商工業協同組合の定める
『金箔打紙製法・あぶらとり紙』の定義及び製法
『金箔打紙製法』ロゴマーク
このマークが入った商品は箔商工業協同組合が認める金箔打紙製法のあぶらとり紙であることを意味します。
箔職人が、金箔打ちの技術と勘をもって

(1) 金、銀及び諸箔を製造できる箔打ち機械で【あぶらとり紙】原紙を、丹念に打ち叩き仕上げた【あぶらとり紙】である。
(2) 仕上がった【あぶらとり紙】は、原紙の状態より紙の繊維が、尚一層叩き 潰され、箔打ち機械で紙打ちされた風合いのある状態であること。

解説
ただ単に、上下する紙打ち機械で製造した『あぶらとり紙』は、(※1)の条件を満たさない為、『金箔打紙製法』とは認めない。
 箔打ち機械で紙打ちした『あぶらとり紙』であっても、(※2)の条件を満たす為には、相当数の紙打ちの作業時間を必要とする。従って形式的に箔打ち機械で、紙打ちした程度では、『金箔打紙製法』とは認めない。

ココまで来れば、ただ帰るのはもったいない。
最近は、「箔屋」 のする最終工程を体験学習する施設も多数ありますが、
「澄屋」 の仕事なんて見たことない! 何をしているのかじっくりと教えていただきました。

 ■ そもそも伝統工芸、金沢箔とは、
日本で金箔がいつ頃から作られたかは、わかっていません。でも仏像一つを見ても白鳳・天平の昔から金箔の輝きが日本文化を彩ってきた事は間違いありません。
金沢へは、16世紀後半に京都から移入されたものといわれ、文禄2年(1593)藩祖前田利家が加賀の工人に箔の製造を命じた文書も残っています。
金沢で箔の製造が盛んになったのは歴代藩主の保護奨励策と金沢の職人の打箔技術の優秀さはもちろん、雨や雪の多い湿った気候と清らかな水に恵まれた金沢が製箔に適していたことにもよります。
そして400年たつた現代でも、その品質は高く評価される伝統産業なのです。
澄屋は、1,000分の3ミリの薄さまでします。
機械には不可能な1ミクロンの世界
金箔は純金に微量の銀、銅を加えた合金からつくります。透かすと向こう側が見えるほど、一ミクロン(一万分の1ミリ)の薄さになっても、金の輝きを失うことなく、均一の薄さに仕上げなくてはなりません。
一ミクロンといってもあまり実感がありませんが、1円玉ほどの金合金をタタミ一畳ほどまで延ばすといえば、その薄さをおわかりいただけるでしょうか。製箔は金をただ叩いて延ばす単純な作業ではなく、それぞれの工程で熟練した職人集団の高度な技術が必要なのです。

 ■ 澄屋の仕事とは、

 1、金合わせ → 2、延金
金の地金を炉に入れ溶かし
横にあるローラで延べ板にします。

金合金の延べ板は6cmの
述金にします。
これが延金
これを叩けば金色になるのサ。
バブルの時は金の中に寝ていたョ

これを叩いて、叩くわけです。
見よ、これが職人の顔
1 金合わせ
金箔の原料は金ですが、金の地金をいきなり叩いて薄く伸ばし、箔にするのではありません。まず金合金の地金を作ります。これは「上澄屋」と呼ばれる職人の仕事です。
金地を銀と銅の地金とともに混ぜて炉茶碗に入れます。炉茶碗は最大4kgまで入れることのできる一種のルツボで、1,300度位に熱します。炭素棒で炉茶碗内を撹拌し、完全に鎔解したのを確認したら「やっとこ」で炉茶碗を挾み、金流し台に流しこみます。冷却したものが金合金です。
2 延金
金合金を帯状に延ばしたものを、通常「延べ」と呼びます。でき上がった「延べ」は「台切り」で約6cm角の小片に切ります。一般には「延金」はこの小片を指しますが、「延べ」を「延金」、小片の「延金」を「小兵」とも呼びます。
 3、紙仕込
代々続く家族中心の仕事
先代もその先代も澄屋・金箔屋

そこには誰も入りきれない
真剣の世界

家族が助け合う事を
私たちは誇りに思うョ
家内制手工業の世界
これが家族の原点なの。
金箔の破れを修正
コレもまた勘の世界



3 紙仕込
延金から5つの段階を経て上澄を作ります。澄打紙(金沢市二俣産の西の内紙と呼ばれる和紙)のうち、12.6cm角の「小兵」と呼ぶ紙に延金をのせ、約200枚ほど重ねます。上下それぞれに打紙として使えなくなった古い「ふるや」と称する紙を、各30枚ほど重ねて当てます。「袋革」でおおい、「乳革」でしっかりとめます。
※それぞれの段階で用いる澄打紙と打ち上がったものは、同じ名称で呼ばれます。「小兵」は澄打紙の名称であり、この段階の金箔の状態の呼び名でもあります。荒金、小重も同様です。

 4、澄打ち
叩かれ紙を変えるごとに
金箔は薄く大きくなっていきます。

またも修正が入って、
三回目の叩きに入る太田氏



4 澄打ち
延金を紙一杯に打ち延ばし、「荒金」という16.8cm角の澄打紙に移しかえます。荒金を約200枚重ね、同じようにふるやを上下に当て、紙一杯に打ち延ばします。現在は荒金までの段階はハトロン紙(西の内紙を使っていたときは「重」と総称)を使っています。

荒金を4分の一に切ります。約6cm角の小片を、18.3cm角の大きさの澄打紙に入れ、紙一杯まで打ち延ばします。この段階からの澄打紙は現在も明治以前と同じ西の内紙を使っています。21.6cm角の澄打紙を「大重」といい、これに小重を移しかえ紙一杯に打ち延ばします。100分の3ミリの延金を1,000分の3ミリの薄さにまでに打ち延ばします。大重を化粧鋏で整形し、澄打紙の「上り」に移し入れ、艶を消すために、ふたたび打ちます。これが「打上り澄」です。
 5、仕立て
仕事は変わって、
これからは俺の熟練の世界

これぞ手練の技
一瞬の神業サ
のぶチャンはあそこに落ちている
金箔を見つけました。
コレでいくら位かな~
もって帰ったらバレるかしら。
俺かい、俺はいま隠居仕事サ。
息子をよろしく頼むぜ。
俺んちは代々、金箔屋の職人なのさ。





 5 仕立て
打上り澄を30枚ほど重ね、20.1cm角の型を当てて折りまげ、たち包丁で折目から切ります。これが「仕上り上澄」であり、「上澄」または「澄」とも呼びます。澄は三つ折りにして澄箱に入れ、箔屋に届けます。

参考資料 : 石川新情報書府 加賀能登の工芸・金沢箔

澄屋の太田さんの手で1,000分の3ミリの薄さに延ばされたこの上澄は、
この後、「箔屋」の職人さんの手によって10,000分の1ミリほどの薄さの金箔に仕上げて、
みなさまの目に触れるわけです。

 ★ 金沢金箔の若きリーダ・田島重彦氏にインタビュー
金沢文化を担っているとの自負と自信
㈱タジマの専務
田島乗彦氏
会社の2Fでは小売も営業
金屏風から爪楊枝入れまで販売
金箔の小瓶。
 
コーヒーに入れたりします。
▼ 最近、あぶら取り紙が売れているみたいですネ。
売れているといっても金額的には大した事ありません。もともと今日の取材で訪れたような澄屋さんが金箔を作る時にでる副産物ですし、職人さんが一枚一枚作る手作業ですので生産量が限られているのです。
でもあんまりお客様のご要望が多く応えられなくなってきましたので今では別にお願いして作ってもらっている訳なのです。つまり私達金沢金箔製造のノウハウ及び金箔職人の技術と経験と勘で約3万回以上の回数で箔打ちされた物だけが「金箔製造・あぶらとり紙」なのです。

▼ それだけ念を押されるということは、偽者が出回っているという事ですか?
のぶチャンにお出ししている、私どもが製造している「金箔打紙製法・あぶらとり紙」は、先ほどお見せいたしました石川県箔商工業協同組合の定めるの定義及び製法に従って製造されたものです。
したがって、一般市場に出回っている「あぶらとり紙」とは比べられないほどの吸脂力で消費者様からの御支持を長年いただいております。
それ以上のことは、ご推察下さい。  ( ̄~ ̄;)

▼ 本業の金箔の方の仕事はいかがなものですか?
やっぱりバブルの頃は仕事に追われて追われて、すごかったですネ。あの当時、金箔を文化とか美術とかで見ていたのでしょうか? 今になってみれば疑問ですね。
今は当社の多数の職人さんとそのお弟子さんに仕事をだすので目一杯です。でも彼等の一人一人が「自分たちが金沢の文化を担っている。」との意識で頑張ってくれていますので、何とかこの文化を全国に浸透させたいですね。

▼ ヨーロッパでは生まれた子供に金貨を握らすそうです d(^-^)ネ!
良く知っていますね。これは、お祖父ちゃんが生まれて一時間以内の孫に金貨を握らせる習慣です。そうすればこの子は一生豊かに暮らせるとされています。
また、日本でも金は肌身につけていると魔除けになるとされ、東西南北いづれからも福を招く、招福厄除と言われています。うちで作られた金箔のアクセサリーを身につけると良い事がきっと有りますョ。


インタビュー後記
「金箔のタジマ」の専務の田島乗彦君に初めて会ったのは彼がうちの弟と遊んでいた小学生ぐらいの頃だったから随分とたってしまったナ~。そういえば彼は高校生の時、うちにバイトにも来ていた記憶もあるゾ。
マア、そんな事は関係ないか。 昔ながらの職人の手作りでの良質で信頼のおけるものだけを製造・販売するというこだわり、金箔という文化と美術を担っているとの自信と情熱を感じたインタビューでした。 乗彦君、いや専務。 今度一回飲みに行こうか!!


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