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金沢美食ロード
金沢美食ロード
金沢の料亭のさまざまなストーリー
板長がポロリともらした「じわもんレシピ」 料亭の気軽なご利用方法・ご紹介 金沢の料亭はじめ、グルメスポットをご紹介 全国の料亭はこちらから |
【新・料亭物語】
時を越える「心」 常に金沢という「土」を意識して新しい「風」を読み取り、若い力を信頼して乗り切る。 江戸時代から連綿と続く「こころ」。 時代は変わってもその底辺に流れるものは変わらない。 それこそが金沢が世界に誇るコンセプトなのです。 ★第1話は、浅田屋さんです。 近江町市場の横にある慶応3年より続く「浅田屋」の灯火。 金沢の老舗料亭で生まれた【新メニュー誕生物語】をどうぞ。 最近ブームの加賀野菜。 「せっかくだから地元にこだわるか」 の小村調理長の一言で、出来上がったのがこの逸品が下の「加賀レンコンのずわい蟹巻」。 食材調達から出来上がりまで、読み応えあり、ぜひ詳しくお読みください。 ★第2話は、銭屋さんです。 素材にこだわり、素材の良さを最大限に引き出す匠の技。
先代から伝わるDNAを見事に引き継ぎ、新たな世界を誕み出している日本料理 「銭屋」。 停滞していた金沢の料理屋に風穴を開け、新たなステージに金沢を導いた秘密をタップリとお伝えいたします。 先代から二代目まで受け継がれたオーナーシェフの心、ぜひ詳しくお読みください。 |
■ 金沢の風土がうみだした心・浅田屋の料亭物語
<第一回 浅田屋>
時をこえる「心」
晩秋の吹き寄せ料理(石亭)
◆老舗は常に新しい
金沢で多数のフードビジネスを経営する浅田屋の歴史は、
四代将軍・徳川家綱17才の1659年(萬治2年)までさかのぼることができます。 ちょうど松尾芭蕉が15才の時ですのでその時代背景が分かります。
この年、藩御用達の飛脚業を拝命し、江戸と金沢の間で人と人との心を200年間代々取り繋いできました。そして時代が変わり大政奉還が行われた1867年(慶応3年)、十間町に旅籠として誕生し、金沢の料亭の特徴である「おもてなしの心」を一環して追求しています。
浅田屋がダイナニズムを発揮し始めたのは現社長・浅田裕久氏が当主となられた時からで、金沢で初めて「しやぶしゃぶ」を紹介した料亭・石亭が始まりでした。
その後、帝国ホテルのコックも研修に来るほどのステーキハウス・中華料理店・イタリアンレストラン・活魚専門料亭・ホテルと次々と新しい業態を開発し、金沢に初めて和洋中のクローバルレストランや食べ放題を提案したのもこの人でした。
常に金沢という「土」を意識して新しい「風」を読み取り、若い力を信頼して乗り切るのが成功の方程式と見受けられました。
浅田屋に限らず江戸時代から連綿と続く「こころ」。時代は変わってもその底辺に流れるものは変わらない。それこそが金沢が世界に誇るコンセプトなのです。
記念すべき第1回は、浅田屋の旗艦店・「加賀・石亭」を取上げました。
石亭の正面
あったか冬のメニュー
「かぶら釜」
◆新メニュー
2003年11月初旬。
それは、浅田屋の旗艦店「石亭」の会議室での店長・調理長と私との何気ない打ち合わせの中から誕まれた進行中のプロジェクトなのです。
店長
「松本さん、何かお客様が喜ぶような素材なにかない?」
のぶちゃん
「この間、紹介した「下関のふぐ」と関口宏の「どっちの料理ショー」にも特選素材で取上げられた「日本一のすっぽん」だけではインパクト弱いですか?」
調理長
「うん、あれはチャンと冬の鍋メニューに入れたョ。でもね、そこに止まらないで「もっともっとという心がお客様の満足を生む」という成功の法則は知っているわけでしょう?」
のぶちゃん
「うーん。。。o(゜^ ゜)」
下関の天然ふぐ
ふぐ鍋
■ 素材にこだわり、素材の良さを最大限に引き出す・銭屋の料亭物語
<第二回 銭屋>
時を越える心
アワビの品質を確認する二代目・高木 慎一朗氏
◆日本海沖・孤島のアワビ
輪島沖合北方約60kmの海上に浮かぶ孤島・舳倉島は、日本三大海女集落(にほんさんだいあましゅうらく)として知られてます。
7月1日午前9時に待望のアワビ漁は解禁され、能登にいる200名ほどの海女がいっせいにウェットスーツと水中眼鏡だけで海に潜り、金沢の銭屋のためだけに厳選されたアワビを採ってきてくれます。
これが9月30日まで続けられ、この間一年分のアワビが銭屋に届けられます。
全国に鮑ステーキといえば金沢の銭屋と言われるくらい、つと有名になった銭屋の厨房は、その日から朝早く舳倉島から届くあわびで埋まっていきます。
あわびは「海の小判」と呼ばれ奈良時代から朝廷に献上される税金のかわりとして扱われるほど貴重な食材でした。
現代でも、海産物の王様として高級食材の頂点に君臨しています。
雄大な日本海の自然の中で育まれた「天然あわび」。
その本物の食材の美味しさを追及すると供に、美味しい食材を探求しお客様に提供し続けてるのが銭屋なのです。
第2回は、先代から常に素材そのもものの味にこだわる「銭屋」を取上げました。
海女が1つずつ潜って採る(北国新聞より)
舳倉島の上空からの航空写真(自衛隊より)
7月1日午前9時に待望のアワビ漁は解禁され、能登にいる200名ほどの海女がいっせいにウェットスーツと水中眼鏡だけで海に潜り、金沢の銭屋のためだけに厳選されたアワビを採ってきてくれます。
これが9月30日まで続けられ、この間一年分のアワビが銭屋に届けられます。
全国に鮑ステーキといえば金沢の銭屋と言われるくらい、つと有名になった銭屋の厨房は、その日から朝早く舳倉島から届くあわびで埋まっていきます。
あわびは「海の小判」と呼ばれ奈良時代から朝廷に献上される税金のかわりとして扱われるほど貴重な食材でした。
現代でも、海産物の王様として高級食材の頂点に君臨しています。
雄大な日本海の自然の中で育まれた「天然あわび」。
その本物の食材の美味しさを追及すると供に、美味しい食材を探求しお客様に提供し続けてるのが銭屋なのです。
第2回は、先代から常に素材そのもものの味にこだわる「銭屋」を取上げました。
海女が1つずつ潜って採る(北国新聞より)
舳倉島の上空からの航空写真(自衛隊より)
◆あわびステーキ
舳倉島は、別名海女の島ともいい、日本でも有数のおいしいアワビが豊富に採れます。
そのアワビは水貝にして刺身として食べられていたのですが、少しお年を召した方には、少し硬いのが玉に瑕でした。
コリコリとした水貝の味は忘れられない、でももう食べられないというお客様の声に応えて銭屋の先代・高木 信 氏が30年前に考案したのがこの「鮑ステーキ」でした。
いまでこそ「あわびステーキ」は鉄板焼の店でも和食の店でもポピュラーな物となっていますが、先代が思いついた時は、日本料理の店ではほとんど使われていなく、フランス料理でも当時、志摩観光ホテルの高橋調理長が唯一取り入れていた献立でした。
そこで思いついたのが日本料理伝統の技術の「アワビの柔らか煮」にヒントを得て、銭屋オリジナルの和風ステーキにする事でした。
舳倉島から届くアワビを
調理場全員で下処理が始められる。
二代目の右腕。
調理長である実弟の二郎氏
ダイナミックに貝殻から身が剥がされます
仕上げは手で丁寧に、やさしく
山と積まれるアワビ
ちょうどその頃、私は金沢に帰ってきていて、親父(銭屋の先代)が自分独自の味を作り上げようと試行錯誤の結果、「高木 信・銭屋の世界」が日本中に認められ広がっていく、その有様を目のあたりにいたしました。
このアワビステーキも旧知の間柄だった志摩観光ホテルの高橋さんと忌憚なく語り合い、志摩のアワビと輪島のアワビとでは同じ調理法でやっても美味しくならない、志摩には志摩の輪島には輪島の調理法があると結論に達したようです。
いかにして口の中に入れて、鼻に抜けるような貝の香りと柔らかな口当たりにアワビを仕上げ、かつアワビ本来の力強い野生の味を楽しめるように出来るかが命題でした。
亡くなられてはや20年近くが過ぎようとしていますが、保守的な料理の世界で常に新しい食材を取りいれ自分の世界を作り上げ、世間の人に認知させるのは、この天才料理人をしても並大抵ではありませんでした。
アワビのカラだけが残ります
鋭い目で現場を仕切る当代、慎一朗氏
亡くなられた創業者の先代・高木 信 氏は、強烈なキャラクターの人でした。
料理人のステージであるカウンター。
ここから銭屋のストーリーが始まったのです。
そのアワビは水貝にして刺身として食べられていたのですが、少しお年を召した方には、少し硬いのが玉に瑕でした。
コリコリとした水貝の味は忘れられない、でももう食べられないというお客様の声に応えて銭屋の先代・高木 信 氏が30年前に考案したのがこの「鮑ステーキ」でした。
いまでこそ「あわびステーキ」は鉄板焼の店でも和食の店でもポピュラーな物となっていますが、先代が思いついた時は、日本料理の店ではほとんど使われていなく、フランス料理でも当時、志摩観光ホテルの高橋調理長が唯一取り入れていた献立でした。
そこで思いついたのが日本料理伝統の技術の「アワビの柔らか煮」にヒントを得て、銭屋オリジナルの和風ステーキにする事でした。
舳倉島から届くアワビを
調理場全員で下処理が始められる。
二代目の右腕。
調理長である実弟の二郎氏
ダイナミックに貝殻から身が剥がされます
仕上げは手で丁寧に、やさしく
山と積まれるアワビ
ちょうどその頃、私は金沢に帰ってきていて、親父(銭屋の先代)が自分独自の味を作り上げようと試行錯誤の結果、「高木 信・銭屋の世界」が日本中に認められ広がっていく、その有様を目のあたりにいたしました。
このアワビステーキも旧知の間柄だった志摩観光ホテルの高橋さんと忌憚なく語り合い、志摩のアワビと輪島のアワビとでは同じ調理法でやっても美味しくならない、志摩には志摩の輪島には輪島の調理法があると結論に達したようです。
いかにして口の中に入れて、鼻に抜けるような貝の香りと柔らかな口当たりにアワビを仕上げ、かつアワビ本来の力強い野生の味を楽しめるように出来るかが命題でした。
亡くなられてはや20年近くが過ぎようとしていますが、保守的な料理の世界で常に新しい食材を取りいれ自分の世界を作り上げ、世間の人に認知させるのは、この天才料理人をしても並大抵ではありませんでした。
アワビのカラだけが残ります
鋭い目で現場を仕切る当代、慎一朗氏
亡くなられた創業者の先代・高木 信 氏は、強烈なキャラクターの人でした。
料理人のステージであるカウンター。
ここから銭屋のストーリーが始まったのです。
◆先代から受け継がれたDNA
16歳から独立する29歳まで金沢の料理屋で修行した、生粋の金沢で育った料理人でありながら、独立した先代の作る料理はそれまでの料理そのものをドーン、ドーンと出す加賀料理とは違い、どこかスマートで洒落ていました。
コレが舳倉島のアワビステーキだョ。
いまでこそ金沢も京料理のエッセンスが入り、金沢と京都の良い所が上手い具合にとけあい、金沢というひとつの世界を作り出しています。けれど当時の加賀料理は、食材のあまりの質の良さに胡坐をかいていたと批判されても仕方がないと思います。
ですから銭屋の先代の料理は、「ペリーの黒船来航」のようなセンセーショナルな話題をつねに提供していました。
30年たって当時作られた料理の写真を見てみれば、いまどんな料理屋さんも提供している食材や料理法で普通の料理なのです。
逆に言えば、30年たって振り返っても普遍的な料理だったのですネ。
貝殻から身を剥がされたアワビは水洗いの後、霜降りされ、さらにタワシで汚れをとり
鍋に入れられ、コトコトと6時間ほど煮込まれることにより柔らかくなり味を調えられ、さらに2時間煮込まれ一晩寝かされる事により完成いたします。
コレが舳倉島のアワビステーキだョ。
いまでこそ金沢も京料理のエッセンスが入り、金沢と京都の良い所が上手い具合にとけあい、金沢というひとつの世界を作り出しています。けれど当時の加賀料理は、食材のあまりの質の良さに胡坐をかいていたと批判されても仕方がないと思います。
ですから銭屋の先代の料理は、「ペリーの黒船来航」のようなセンセーショナルな話題をつねに提供していました。
30年たって当時作られた料理の写真を見てみれば、いまどんな料理屋さんも提供している食材や料理法で普通の料理なのです。
逆に言えば、30年たって振り返っても普遍的な料理だったのですネ。
貝殻から身を剥がされたアワビは水洗いの後、霜降りされ、さらにタワシで汚れをとり
鍋に入れられ、コトコトと6時間ほど煮込まれることにより柔らかくなり味を調えられ、さらに2時間煮込まれ一晩寝かされる事により完成いたします。
●古い金沢から飛び出たした感性
30年前に先代の考案された、このアワビステーキもどちらかというと素材を大事にする加賀料理の延長上にありながら、その枠をを飛び出し氏独自の世界を作り上げています。
出来上がった物を模倣するのは簡単に出来ます。
でもそれを創造し、保守的な料理の世界で確固たるポジショニングを確立するにはどれだけの工夫と努力が必要だったでしょう。
私の亡くなった親父と親友だったおかげで、調理場へ訪ねていくと「おっ、松本元気にやっているか」「コーヒー飲みに行くか」「昼飯食っていけ」などと、大変かわいがっていただきました。
もっともその昼飯は調理場のまかないのため、その分、調理場の若い衆のオカズが少なくなって不評を買っていましたが。
(o^-^o) ウフッ
外から銭屋をみていて、一番の魅力だと思ったのは、品質的にすぐれたアワビや生の夏マグロにみられるような地元産の物を多く使うのはもちろんの事、良いというものがあれば全国から幅広く取り寄せていたこと。
(私もご相伴させていただきました。(^ー^)ノ)
いち早く、フォアグラ、ピータン、キングサーモンなど洋食や中華の材料、調味料を取りいれていたことです。
ある時、豆腐の上にアボガドを細かく叩きラー油と下ろし玉ねぎの絞り汁、醤油で味を調えてありました。
白い豆腐と鞍掛けされたアボガドの青色のコントラストと古染付けの器が印象に残っています。
新しい素材、調理法に取り組むといった姿勢が魅力の1つでした。
かと思えば、お客様によっては、食事にコノワタをかけたご飯や、天日干しした古大根の糠漬を、少し酸味を帯びさせてお茶漬けとしてお出ししていました。
目先の変わった料理ではなく、素材にこだわりその魅力を十分に引き出す事によって、お客様に次には何が出てくるだろうかとワクワクするような期待感や新しい発見をしてもらえるような料理に仕上げるのが秘密だと語っていた事を思い出します。
出来上がった物を模倣するのは簡単に出来ます。
でもそれを創造し、保守的な料理の世界で確固たるポジショニングを確立するにはどれだけの工夫と努力が必要だったでしょう。
私の亡くなった親父と親友だったおかげで、調理場へ訪ねていくと「おっ、松本元気にやっているか」「コーヒー飲みに行くか」「昼飯食っていけ」などと、大変かわいがっていただきました。
もっともその昼飯は調理場のまかないのため、その分、調理場の若い衆のオカズが少なくなって不評を買っていましたが。
(o^-^o) ウフッ
外から銭屋をみていて、一番の魅力だと思ったのは、品質的にすぐれたアワビや生の夏マグロにみられるような地元産の物を多く使うのはもちろんの事、良いというものがあれば全国から幅広く取り寄せていたこと。
(私もご相伴させていただきました。(^ー^)ノ)
いち早く、フォアグラ、ピータン、キングサーモンなど洋食や中華の材料、調味料を取りいれていたことです。
ある時、豆腐の上にアボガドを細かく叩きラー油と下ろし玉ねぎの絞り汁、醤油で味を調えてありました。
白い豆腐と鞍掛けされたアボガドの青色のコントラストと古染付けの器が印象に残っています。
新しい素材、調理法に取り組むといった姿勢が魅力の1つでした。
かと思えば、お客様によっては、食事にコノワタをかけたご飯や、天日干しした古大根の糠漬を、少し酸味を帯びさせてお茶漬けとしてお出ししていました。
目先の変わった料理ではなく、素材にこだわりその魅力を十分に引き出す事によって、お客様に次には何が出てくるだろうかとワクワクするような期待感や新しい発見をしてもらえるような料理に仕上げるのが秘密だと語っていた事を思い出します。
高木 信 氏とお客様への細やかな気配りで支えた女将の笑子さんの一代で、金沢の一流料亭となった銭屋は、後継者の育成にも力を尽くし、彼のDNAを継承した調理人は、金沢は勿論、全国で活躍しています。
また私が金沢に帰って来たときは、今の当代の慎一朗氏は中学生でしたが、親父は長男の慎一朗、次男の二郎氏にも「食は三代」といわれている様に幼少より、日本中の美味しい物を食べに連れ歩いていました。
さらにこれからの男は世界を見なければいけないと、高校の卒業をまたずして一年間アメリカに留学をさせるほどの人でした。留学といえばカッコいいのですが、単身、親の助けもない見も知らずの土地に放り投げたたのです。調理場の若い衆にも子供にも優しさと厳しさの両面で接していました。
生まれた時から、料理場の裏表の全てを知っている慎一朗氏、二郎氏がいま先代のDNAを受け継ぎ銭屋の全てを仕切っているのです。
アワビを戻している間も調理場は戦場のような忙しさです。
だいたい戻ってきましたネ。
これで6時間くらいです
戻し方も味の付け方も先代の味を受け継ぎながら新しい試みが。
また私が金沢に帰って来たときは、今の当代の慎一朗氏は中学生でしたが、親父は長男の慎一朗、次男の二郎氏にも「食は三代」といわれている様に幼少より、日本中の美味しい物を食べに連れ歩いていました。
さらにこれからの男は世界を見なければいけないと、高校の卒業をまたずして一年間アメリカに留学をさせるほどの人でした。留学といえばカッコいいのですが、単身、親の助けもない見も知らずの土地に放り投げたたのです。調理場の若い衆にも子供にも優しさと厳しさの両面で接していました。
生まれた時から、料理場の裏表の全てを知っている慎一朗氏、二郎氏がいま先代のDNAを受け継ぎ銭屋の全てを仕切っているのです。
アワビを戻している間も調理場は戦場のような忙しさです。
だいたい戻ってきましたネ。
これで6時間くらいです
戻し方も味の付け方も先代の味を受け継ぎながら新しい試みが。
◆作り上げた、銭屋二代目の世界
大学を卒業した慎一朗氏は、京都・吉兆で料理の世界に飛び込みました。
厳しい日本一の料亭の吉兆で、上下関係のある、ある意味理不尽な世界で勤まるかどうか危惧していたのですが、京都へ行く前に彼にそれとなく話しをした所、彼の意気込み決意がビシビシと伝わってきて、彼の顔と亡くなった先代の顔が重なり涙が出そうになりました。
あれから10有余年が過ぎ、先代が作り上げた銭屋の世界に京都で教わった吉兆の世界が融和し、また新たに関西の料理修行から帰って来た二郎氏も料理長として加わり、いま若い彼ら独自の感性が混ざり合い、混沌から創造へと二代目・銭屋の世界が広がりつつあります。
これから彼らが作り上げる世界がどこまで行くのか、金沢の美味しい店だけで終わるのか、日本で終わるのか、はたまた世界まで行くのか楽しみな逸材であります。
慎一朗さん、「世界の名物・日本料理」これが吉兆の創業者・湯木 貞一の言葉でしたよ d(^-^)ネ!
ステーキを焼く、当代・高木 慎一朗氏
その見つめる目の先は、お客様の笑顔か
厳しい日本一の料亭の吉兆で、上下関係のある、ある意味理不尽な世界で勤まるかどうか危惧していたのですが、京都へ行く前に彼にそれとなく話しをした所、彼の意気込み決意がビシビシと伝わってきて、彼の顔と亡くなった先代の顔が重なり涙が出そうになりました。
あれから10有余年が過ぎ、先代が作り上げた銭屋の世界に京都で教わった吉兆の世界が融和し、また新たに関西の料理修行から帰って来た二郎氏も料理長として加わり、いま若い彼ら独自の感性が混ざり合い、混沌から創造へと二代目・銭屋の世界が広がりつつあります。
これから彼らが作り上げる世界がどこまで行くのか、金沢の美味しい店だけで終わるのか、日本で終わるのか、はたまた世界まで行くのか楽しみな逸材であります。
慎一朗さん、「世界の名物・日本料理」これが吉兆の創業者・湯木 貞一の言葉でしたよ d(^-^)ネ!
ステーキを焼く、当代・高木 慎一朗氏
その見つめる目の先は、お客様の笑顔か
●高木慎一朗氏にインタビュー
のぶチャン
「慎一朗さん知っていますか、ここ銭屋の調理場は、私の店の原点でもあるんですョ。」
慎一朗 氏
「珍味屋の のぶさん の原点ですか?」
のぶチャン
「そう。30年前のここの調理場はすごかったョ〜。なにせここにくれば何でもあった。知っての通り近江町のうちの店は珍味屋だから日本中の商品があったけど、ここには金沢の中央市場はもちろんの事、築地の市場にもないものがいっぱいあった。」
慎一朗 氏
「ああ、羽田沖のアナゴや鳴門の鯛の事ですか?」
のぶチャン
「うん、それもある。今でこそ当たり前だけどアナゴなんて天麩羅と煮物で羽田沖と瀬戸内を使い分けていたでしょう。
鯛なんて”のっこみ”の一週間だけは加賀の橋立港産と決めていたりして、美味しい時期によって買う産地を変えていたでしょう。
三十年以上前の話ですけど、慎一朗さんは、いまいくつ?」
慎一朗 氏
「34ですけど。」
のぶチャン
「まだあなたが鼻をたらしていた5才の時に、そんな事をしていたのよ d(^-^)ネ!
考えられないョ。」
慎一朗 氏
「小さい時、けっこう親父に連れられて日本中食べに行きましたョ。
美味しいものを知れ!ってネ。
私は旅行が出来て旨いものが食べれて嬉しかったけど。
結局あれはリサーチだった訳ですネ。
昔は店と自宅が一緒だったから旅行から帰ってきてしばらくすると銭屋の調理場に旅行で食べてきた美味が並んでいるんですョ。」
のぶチャン
「おみやげにかってきたわけでなく?」
慎一朗 氏
「そう、今でいう産直ですか。
実際自分で見て食べてきて買うわけですから、美味しくないわけないですワネ。
冬だったら福岡の河豚の白子だったり、四国や北海道の果実だったり。
そういえば30年前ラ・フランスを調理場で初めて食べた記憶があるワ。
ああフォアグラも初めて食べたのはここでだった。
お金貰いますョ。(T▽T)アハハ!」
のぶチャン
「いまでこそラ・フランスなんて珍しくもないけど当時はあまりの美味さに感動したナ〜。
むかしサ〜、苺のピンポン玉より大きいのを食べたけどいまでもあれ仕入れているの?」
下に続く↓↓↓
「慎一朗さん知っていますか、ここ銭屋の調理場は、私の店の原点でもあるんですョ。」
慎一朗 氏
「珍味屋の のぶさん の原点ですか?」
のぶチャン
「そう。30年前のここの調理場はすごかったョ〜。なにせここにくれば何でもあった。知っての通り近江町のうちの店は珍味屋だから日本中の商品があったけど、ここには金沢の中央市場はもちろんの事、築地の市場にもないものがいっぱいあった。」
慎一朗 氏
「ああ、羽田沖のアナゴや鳴門の鯛の事ですか?」
のぶチャン
「うん、それもある。今でこそ当たり前だけどアナゴなんて天麩羅と煮物で羽田沖と瀬戸内を使い分けていたでしょう。
鯛なんて”のっこみ”の一週間だけは加賀の橋立港産と決めていたりして、美味しい時期によって買う産地を変えていたでしょう。
三十年以上前の話ですけど、慎一朗さんは、いまいくつ?」
慎一朗 氏
「34ですけど。」
のぶチャン
「まだあなたが鼻をたらしていた5才の時に、そんな事をしていたのよ d(^-^)ネ!
考えられないョ。」
慎一朗 氏
「小さい時、けっこう親父に連れられて日本中食べに行きましたョ。
美味しいものを知れ!ってネ。
私は旅行が出来て旨いものが食べれて嬉しかったけど。
結局あれはリサーチだった訳ですネ。
昔は店と自宅が一緒だったから旅行から帰ってきてしばらくすると銭屋の調理場に旅行で食べてきた美味が並んでいるんですョ。」
のぶチャン
「おみやげにかってきたわけでなく?」
慎一朗 氏
「そう、今でいう産直ですか。
実際自分で見て食べてきて買うわけですから、美味しくないわけないですワネ。
冬だったら福岡の河豚の白子だったり、四国や北海道の果実だったり。
そういえば30年前ラ・フランスを調理場で初めて食べた記憶があるワ。
ああフォアグラも初めて食べたのはここでだった。
お金貰いますョ。(T▽T)アハハ!」
のぶチャン
「いまでこそラ・フランスなんて珍しくもないけど当時はあまりの美味さに感動したナ〜。
むかしサ〜、苺のピンポン玉より大きいのを食べたけどいまでもあれ仕入れているの?」
下に続く↓↓↓
◆秋の逸品料理
鴨のロース煮
秋の吹き寄せ盛
慎一朗 氏
「いまは違う農家から専属にもっと大きいのを作ってもらっています。」
のぶチャン
「へえ、一段の進化してるんだ。
そういえば京都・吉兆は醤油や酢まで特注だったね。
最近行った時は無農薬の京野菜の料理を一品だしていたしネ。
他とは違う美味しい物を出そうとみんな苦労してるよネ。
それはそうと、最近サ、俺が行くと調理場の若い衆は、さっと冷蔵庫に何かを隠すのネ。
あれは何?」
慎一朗 氏
「あっ、ばれましたか。」
のぶチャン
「あんまり隠すとネタばらすョ。」
慎一朗 氏
「のぶさん、怖い事いわないで下さいョ。
あれは能登の珠洲の松茸ですヨ。香りが飛ぶからすぐ隠せって指示だしてあるんです。」
のぶチャン
「隠せって指示!誰から隠すわけ?」
慎一朗 氏
「・・・・・・・・」
のぶチャン
「そういえば、刺身に使う塩も別注だったョネ。
昔も珠洲から松茸来てたよネ。あれと同じ?」
慎一朗 氏
「・・・・・・(◎_◎;)いま、別に専属に山の手入れをしてもらって、銭屋バージョンの松茸を取って来てもらっているんです。
ところで、なぜうちの調理場がのぶさんの原点なわけですか。」
のぶチャン
「原点というか、うちの目標なの。
『他との差別化』
『お客さんに喜んでもらうには手を惜しまない』
『なんでもする』
『強い意志』
そんなことがネ。それを教えてくれたのがあなたの親父なわけ。」
慎一朗 氏
「じゃ、特許か授業料もらわなくちゃ。」
のぶチャン
「いまは違う農家から専属にもっと大きいのを作ってもらっています。」
のぶチャン
「へえ、一段の進化してるんだ。
そういえば京都・吉兆は醤油や酢まで特注だったね。
最近行った時は無農薬の京野菜の料理を一品だしていたしネ。
他とは違う美味しい物を出そうとみんな苦労してるよネ。
それはそうと、最近サ、俺が行くと調理場の若い衆は、さっと冷蔵庫に何かを隠すのネ。
あれは何?」
慎一朗 氏
「あっ、ばれましたか。」
のぶチャン
「あんまり隠すとネタばらすョ。」
慎一朗 氏
「のぶさん、怖い事いわないで下さいョ。
あれは能登の珠洲の松茸ですヨ。香りが飛ぶからすぐ隠せって指示だしてあるんです。」
のぶチャン
「隠せって指示!誰から隠すわけ?」
慎一朗 氏
「・・・・・・・・」
のぶチャン
「そういえば、刺身に使う塩も別注だったョネ。
昔も珠洲から松茸来てたよネ。あれと同じ?」
慎一朗 氏
「・・・・・・(◎_◎;)いま、別に専属に山の手入れをしてもらって、銭屋バージョンの松茸を取って来てもらっているんです。
ところで、なぜうちの調理場がのぶさんの原点なわけですか。」
のぶチャン
「原点というか、うちの目標なの。
『他との差別化』
『お客さんに喜んでもらうには手を惜しまない』
『なんでもする』
『強い意志』
そんなことがネ。それを教えてくれたのがあなたの親父なわけ。」
慎一朗 氏
「じゃ、特許か授業料もらわなくちゃ。」
のぶチャン
「(◎_◎;) ドキッ!!
まあ、使う食材は、日本一の物をたくさん使っていますネ。
たとえば浜中湖の「服部のスッポン」とか。」
慎一朗 氏
「うまいこと誤魔化しますネ。」
のぶチャン
「いやいや、服部のスッポンは日本一です。
早い所は半年で大きくする所を3年もかけて天然と同じように冬眠までさせて大きくするんだから。
どっちの料理ショーにもでてたよ。
京都の大市と同じスッポンですョ。
石川県では、うちだけしかないよ。」
慎一朗 氏
「だから使っているでしょう。
売る人は問題があっても、商品は一流なんだから。
(o^-^o) ウフッ」
のぶチャン
「どういう意味。(^ー^)ノじゃツクッテネ。
すっぽん料理。」
慎一朗 氏
「(゜゜;)エエッ」
まあ、使う食材は、日本一の物をたくさん使っていますネ。
たとえば浜中湖の「服部のスッポン」とか。」
慎一朗 氏
「うまいこと誤魔化しますネ。」
のぶチャン
「いやいや、服部のスッポンは日本一です。
早い所は半年で大きくする所を3年もかけて天然と同じように冬眠までさせて大きくするんだから。
どっちの料理ショーにもでてたよ。
京都の大市と同じスッポンですョ。
石川県では、うちだけしかないよ。」
慎一朗 氏
「だから使っているでしょう。
売る人は問題があっても、商品は一流なんだから。
(o^-^o) ウフッ」
のぶチャン
「どういう意味。(^ー^)ノじゃツクッテネ。
すっぽん料理。」
慎一朗 氏
「(゜゜;)エエッ」
てな訳で、作っていただいたのが、この料理
丸なべ
浜名湖の近くで天然よりも極上のスッポンを育てる服部中村養鼈場
スッポンの身を入れダシをとった満月豆腐
素材の持ち味をを生かして、明日ははどんな料理が出来上がるのか!
乞う!ご期待下さい。
丸なべ
浜名湖の近くで天然よりも極上のスッポンを育てる服部中村養鼈場
スッポンの身を入れダシをとった満月豆腐
素材の持ち味をを生かして、明日ははどんな料理が出来上がるのか!
乞う!ご期待下さい。
【じわもんレシピ】
板長がポロリともらした「じわもんレシピ」 「じわもん」とは、金沢の地の食材を使った日々の食卓を飾る惣菜のことです。
京都でいう「おばんさい」ですが、金沢の「じわもん」は、新鮮な日本海の魚の美味しさと加賀野菜とが、金沢という風土で培養された家庭料理なのです。 記念すべき「じわもんレシピ」第1回は、蓮蒸しです。 ★加賀蓮根のはす蒸し 加賀の大地が生んだ料理 |
【料亭デビュー】
料亭の敷居は思っているほど高くない。 料亭や料理屋は、どうも肩肘と気が張って(^O^;) と二の足を踏んでいる方、そんなに堅苦しく考える必要はありません。
もっと気楽にゆったりとした時間を楽しんできてください。
奥様
「こんどさ〜、町内の婦人会で一度料亭へ行ってみようってなったの。 でも、みんな行った事ないからどうしたらいいか分からなくて・・・、 そしたら、会計の○×さんが、松本さんあなたご商売柄料理屋さんに出入りしているから幹事お願いネ♪
って無理やり決まったの!!
ねえ〜、どうしたらイイの?(^。^;) 普通の主婦が料亭なんか行ってもいいの? いちげんさんお断りじゃないの? のぶちゃん紹介してくれる? 私心配で心配で。 ((o(б_б;)o))ドキドキ」 のぶちゃん 「戦前ならいざしらず、いまなら前もって予約さえしていけば大丈夫だョ。
いま一見さんお断りの店は、芸妓さんのいるお茶屋さんだけだネ。 お茶屋さんも二次会で行きたいのなら紹介するョ。」 奥様
「(;`O´)oダメーーー!! 二次会はカラオケなの。
まあ、芸妓の芸を見たかったら料理屋さんにも呼べるけどネ。」 奥様 「具体的にどんな予約をすればいいの?」
のぶちゃん
「まず、日にちと時間だね。会食の前に会議などやる場合は、その旨何時間会議をやります。と伝えることが大事だョ。調理場は出来たてを食べてもらおうとスタンバってるいるのだから、ずーっと待たせる事になるョ。」
奥様
「突然のお客さんの都合に合わせるなんて可哀想ね」 のぶちゃん
「それが仕事だからネ。
でも美味しい物をいただこうとしたらね、幹事もそれ位気を使わなくっちゃ。もし人数が増えたり、減ったりしたら、すぐに訂正の連絡を入れてあげて下さいよ。これはマナーのひとつだョ。
二番目に、予算を告げて相談する事。
税込みでもいいから、お酒を入れてこれ位の予算でって伝えることだネ。宴会のシーズンなら飲み放題のプラン付きも多いョ。いま女性もたくさん飲むしネ。」
・・・・・・・・・・・・・ お支払いには、料理代・飲料代・席料、これにサービス料及び消費税が加わります。
のぶちゃん
「それから一番大事なのは、食べたいな~と思う料理があるのなら希望を伝える事。」
奥様
「私ね、ズワイガニが食べたいな。 それからアワビとウニとフグもいいよね。
焼き松茸もいっぱい食べたいな」
のぶちゃん
「おいおい、予算を考えろョ。
(゜-゜*;)オロオロ(;*゜-゜)
マァ、予算内で出来るだけのことはしてくれるョ。 それから嫌いなものがあると言うと献立から外してくれるし、1人の人だけが食べられないとか、ベジタリアンの場合も相談するとその人だけの特別料理も作ってくれるョ。」 奥様 「へぇー、そんな事もしてくれるんだ。」
のぶちゃん
「食堂や居酒屋じゃないんだから、あたりまえだよ。
一人一人に満足をしていただくために料理屋の存在価値があるんだよ。 」 ・・・・・・・・・・・・・
料亭で出される料理には酒宴を中心にした会席料理といい、お茶会で出される懐石料理とがあります。
用途に合わせてお店と相談するのが良いでしょう。
のぶちゃん
「料理屋さんでは、いまのことを予約表に全て記入するんだ。
そして次回からは、お酒の銘柄からタバコの種類、好きな料理や嫌いな料理、好みの味付けは濃いとか薄いとか、前回おいでた日時や召し上がれた料理、器、使われたお部屋やしつらいまでも顧客表に記入していくんだョ。」奥様 「へぇ~」
・・・・・・・・・・・・・ 昔からの料亭では、経験の長い仲居さんや凄腕の板長がいて、そのような事はすべて頭の中に入っていました。
最近では料理屋自身の財産として、パソコンで管理しているところもあります。
のぶちゃん
「それもこれもすべて、来ていただいたお客様に満足していただくための心遣いなのサ。」
奥様
「ただ高いだけではないのネ。 ( ̄- ̄)フーン」
のぶちゃん
「でもそれは裏方のことだから、あなた達はそんなに堅苦しく考えることはないよ。
綺麗に掃き清められ打ち水された玄関や庭を通って、日常と違う世界へいざなう料亭。 数寄屋造りの建物やお部屋のしつらえ、掛け軸などを眺めて、そして美味しい料理と器、もてなしの心。 あなたは十分に楽しんでくればいいのさ。
そう楽しむことが大事なんだ。 いいこというね今日の俺は。」
奥様 「~(・・?))(((;・・)?
で、どんな格好で行けばいいの?」
のぶちゃん
「他の人が不快にならないような服装なら何でもいいよ。
でもテーブル席ではなくお座敷に上がる場合は、足元に気をつけてネ。具体的には靴を磨いておくとか靴下に穴が開いていないとか。 o(*^▽^*)oあはっ♪」
・・・・・・・・・・・・・
開始の時間の10分位前には着くようにしましょう。
会食は出席者が集まってから始まりますので遅れるのは禁物です。
もし貴方が招待した側なら30分位は早めに行ってお店と最終の打ち合わせをしながら正客をお待ちしましょう。
奥様
「玄関からはどうしたらいいの?」
のぶちゃん
「あなたの来るずーっと前から女将さんや仲居さんが玄関で待ってるから婦人会ならその予約した名前を告げて、後は帰るまでおまかせの世界さ。」
・・・・・・・・・・・・・ 下足係(下足番)が居るところでは、その係の者が靴を預かってくれます。
昔は、下足番が客の靴をほとんど覚えていて、帰り際には間違いなくその靴を出していたということですが、今ではほとんどが下足札をわたすようになっています。
のぶちゃん
「それとこれは常識だけど目上の方や、招待したお客様には床の間の前の上座に座ってもらうようにすればもう完璧さ。
(o^-^o)ウフッ最近はネ、料亭も新たな客層の掘り起こしてして、価格的にもお手軽なお昼のメ ニューを用意している店も増えているから、まずはお昼に利用してみるという裏技もあるョ。 マア、料亭・料理店のマナーといっても日本人としての一般常識の範囲のことだから気軽に楽しんでくればいいのさ。」
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【金沢美食の旅】
のぶちゃんがあなただけにとっておきの金沢・グルメスポットをご紹介します。 |
金沢情緒・料亭 |
ゆったりとした時の流れを、感じてみませんか!
桜に映える金沢城
夏座敷
繊細な旬の味、芳しい香り、奥ゆかしい彩りに仕立てられる料理 部屋のたたずまいや調度、そして何より濃やかな心配り 日本の文化の粋を集め、料理を味わうことを芸術まで高めた料亭がここにあります。 |
◆金沢のエッセンスを味わう |
「のぶチャン、金沢らしくて、美味しい所教えてョ」
「金沢にしかない美味しい物で、一生の思い出になる所教えて!」 HPを立ち上げて以来、日本中の多数の人から同じ質問を受けました。 「金沢の名物といえば、ゴリの佃煮でしょう、治部煮でしょう、それから・・・」 求めているのはお土産でしょうか、忘れられない記憶・感動なのではないでしょうか。 ですから、ある日以来、 金沢の文化と美味しい物のエッセンスを凝縮させた世界・料亭を紹介させていただいています。 「(@_@) エー!、そんな高いところ若い僕達には無理ですよ」 「昼(ランチ)ならダイジョウブですよ!」 「玄関から入って出るまで約二時間、そのあいだ美味しい物までいただいて5000円!(税別)どう?」 「いいですネ〜。お願いしま〜す」 「でも、予約はしてあげてd(^-^)ネ!」 金沢ならではの情緒と心落ち着く空間、ホスピタリティに代表されるもてなしの心、ゆっくりと流れる時間と美味しい料理、これらを味わえる料亭を順次ご紹介いたします。 |
とっておきの料亭ご紹介 |
第1回 金茶寮 リーズナブルな昼餉膳 (ひるげぜん) ・金沢情緒を満喫 料理単価5000円で味わえる料理という名の芸術 第2回 つば甚 風光第一楼 「つば甚」の創業は宝暦二年(西暦1752年)。 隠されたストーリーも味のエッセンス 第3回 加賀 石亭 料理は人なり 隠された内面の心が表れるのが料理。 30年ほど前まで、一見さんお断りだった料亭をオープンに大衆に開放した功績大の繁盛店 |
■金茶寮
のぶちゃんがあなただけにとっておきの金沢・グルメスポットをご紹介します。
金茶寮
前田家筆頭家老の横山男爵の別邸と茶室でいただく昼餉膳
前田家筆頭家老の横山男爵の別邸と茶室でいただく昼餉膳
玄関を入れば
離れの別邸へとつづく
金沢の中心部から犀川を挟んだ小高い台地・寺町にあり、犀川への段差、40mの斜面を活かし、1000坪の庭園内に本館と数寄屋風の離れ5棟の離れ離れを中心にした料亭です。
華やかな夜桜の前菜(夜のみ)
部屋の明かりを消して大根で作ったボンボリを灯してお客様の前に
白魚黄身焼・竹の子木の芽合え・海老手鞠寿司・茗荷酢漬・錦玉子・ 一寸豆・菜の花・花びら百合根などの盛り合わせ
部屋の明かりを消して大根で作ったボンボリを灯してお客様の前に
白魚黄身焼・竹の子木の芽合え・海老手鞠寿司・茗荷酢漬・錦玉子・ 一寸豆・菜の花・花びら百合根などの盛り合わせ
白く美しい寒水石が敷き詰められ
犀川を望む眺望もご馳走のひとつ!
能登の滝石を使った階段
皇太子が泊まられた富貴の間
女将の心遣いがみえる
裏門にも趣きがある。
【金茶寮より】
去年より、お昼の昼席重箱 5,000円を始めた所、地元はもとより気楽に金沢料理の粋が味わえると
全国より多数のお客様がお出でになり、そのお客様が今度は夜にお出でになるという好循環が続いています。
金沢へお寄りの節は、お立ち寄り下されば幸いです。 (女将)
全国より多数のお客様がお出でになり、そのお客様が今度は夜にお出でになるという好循環が続いています。
金沢へお寄りの節は、お立ち寄り下されば幸いです。 (女将)
2月の節分昼席重箱料理
鴨ロース煮・イクラ・真名鰹・鰯卯の花合えなど
3月末の花昼席重箱料理
★詳しくは金茶寮のHPへ
■つば甚
のぶちゃんがあなただけにとっておきの金沢・グルメスポットをご紹介します。
つば甚
美しい四季と美味珍味に恵まれた金沢だからこそできる、旬の素材と鮮やかな趣向が心をとらえます。
美しい四季と美味珍味に恵まれた金沢だからこそできる、旬の素材と鮮やかな趣向が心をとらえます。
風格を感じる玄関
尾芭蕉ゆかりの茶室「是庵」
「つば甚」の創業は宝暦二年(西暦1752年)。
代々加賀百万石前田家のお抱え鍔師であった三代目甚兵衛が営んだ小亭、塩梅屋「つば屋」が始まりとされています。初めは友人知人ではありましたが、商いを始めるや、藩主はもとより藩内の重臣、文人、墨客も訪れ、明治の元勲・伊藤博文など各時代の主役達が訪れた料亭です。
新春の加賀懐石
小鯛の唐蒸し・前菜の盛り込み・天然ぶりの刺身・蟹
小鯛の唐蒸し・前菜の盛り込み・天然ぶりの刺身・蟹
鯛にオカラと大地の恵みを詰め込んだ鯛の唐蒸し
地元の橋立港に上がった蟹の内子と外子
お椀は春らしく大根で作ったチョウチョを飾って
【風光第一楼 隠されたストーリーも味のエッセンス】
金沢の中でも寺町台は昔からの風情が残る一角です。
つば甚の横の諏訪神社には、「三光さん」という月待ちの神事が1633年から伝わっています。東北に向い見晴らしのよい寺町台では、陰暦7月26日二六夜の下弦の月が地平線に昇る時、月の光が二つ、三つの光りとなり、やがてまた一つの光りとなり、人の心の中に阿弥陀如来として現れるという神事です。
いまでは未明といえどもネオンの光が輝きとても月の光が仏に見えることはありませんが、まだまだ子供達に受け継がれていくことでしょう。
つば甚の横の諏訪神社には、「三光さん」という月待ちの神事が1633年から伝わっています。東北に向い見晴らしのよい寺町台では、陰暦7月26日二六夜の下弦の月が地平線に昇る時、月の光が二つ、三つの光りとなり、やがてまた一つの光りとなり、人の心の中に阿弥陀如来として現れるという神事です。
いまでは未明といえどもネオンの光が輝きとても月の光が仏に見えることはありませんが、まだまだ子供達に受け継がれていくことでしょう。
伊藤博文が愛した「月の間」とは、金沢の座敷の特徴の紅殻(べんがら)を使った赤い壁・高い天井が格式を感じさせ、金沢城から拝領した窓枠がはめてあります。
書院からは月を観賞することが出来、「月を愛でる書院」といいます。明治の元勲・伊藤博文はこの部屋からの眺望をことのほか愛し「風光第一楼」という揮毫(きごう)を残しています。
月の間・市内を眺望できるサロンと月を愛でる書院。
テーブルは満月を模っている。
テーブルは満月を模っている。
建てられた時代はさまざまですが、11ある部屋にはそれぞれに物語が隠されています。
例えば、松尾芭蕉が泊まったという「吟風亭」、高山右近が作ったといわれるキリシタン灯篭、その横のつくばいは海の百万石といわれオーストラリアのタスマニアやロシアまで通商していたといわれる豪商・銭屋五兵衛が所有していたもの。
茶室の是庵は芭蕉が句会を催した茶室。
鶴の間には家伝の鍔が飾られ、縁側の板は北前船の床板、ぼくも参加した今年の月見の宴で広間に飾られた屏風は俵屋宗達作でした。
つば甚は、それぞれの部屋にそれぞれの道具に歴史を感じさせる料亭です。
例えば、松尾芭蕉が泊まったという「吟風亭」、高山右近が作ったといわれるキリシタン灯篭、その横のつくばいは海の百万石といわれオーストラリアのタスマニアやロシアまで通商していたといわれる豪商・銭屋五兵衛が所有していたもの。
茶室の是庵は芭蕉が句会を催した茶室。
鶴の間には家伝の鍔が飾られ、縁側の板は北前船の床板、ぼくも参加した今年の月見の宴で広間に飾られた屏風は俵屋宗達作でした。
つば甚は、それぞれの部屋にそれぞれの道具に歴史を感じさせる料亭です。
キリシタン灯篭
【一年の集大成 「おせち作り」 12月31日の一コマ】
一つ一つ手作りでおせちは詰められていきます。
多数の人に届けられるため衛生面も気を付けています。
梱包するおねえさんも大忙しです。
新鮮な物を早くお届けしようと全社員総出で
★詳しくはつば甚のHPへ
■石亭
のぶちゃんがあなただけにとっておきの金沢・グルメスポットをご紹介します。
石亭
金沢に一番最初にしゃぶしゃぶを紹介したのがこの料亭です。
近江町市場の近くにある浅田屋の姉妹店
金沢に一番最初にしゃぶしゃぶを紹介したのがこの料亭です。
近江町市場の近くにある浅田屋の姉妹店
兼六園のすぐ近く
最近はお昼の会席に力が入っている
旅館・ホテル・レストランなど、新しい業態を次から次えと開発してきています。
この石亭は30年ほど前まで、一見さんお断りだった料亭をオープンに大衆に開放した功績大の繁盛店です。
涼しさを呼ぶ夏のお刺身
刺身の周りを氷で作った器で覆っています。
刺身の周りを氷で作った器で覆っています。
夏の生マグロ・甘海老・活〆天然鯛・天然ヒラメ・イカ鳴門巻
料理はもちろんのこと、器も、座敷のしつらいも、すべて涼やかに感じられる今日この頃です。
【おもてなしの心 隠されたストーリーも味のエッセンス】
この人が総調理長・小村勇氏
社長の名代として「おもてなしの心」を現場に叩き込んだ。
社長の名代として「おもてなしの心」を現場に叩き込んだ。
現場100人と社長とのパイプ役だ!
おねえさん「お客様、お見えになりました。」
「5分の挨拶の後、料理お願いします。」
小村調理長「さあ、始まるョ〜」
小村調理長「さあ、始まるョ〜」
一番最初の料理は、ぼく(佐々尾)の担当の先付けです。
今日は「能登ナマコのおろし合え」です。
今日は「能登ナマコのおろし合え」です。
新鮮なお刺身は、もちろんお客様が見えてから切り出します。(山口)
今日は、活の天然ヒラメとマグロとイカ、甘海老と寒ブリです。
お客様の料理の進み具合は、どうですか?
お客様の召し上がるスピードが、速いよ!
次の料理、急いで〜!
次の料理、急いで〜!
「温かい料理は、温かくお客様の下に」
これがウチのモットーです。(黒崎)
【料理は人なり 隠された内面の心が表れるのが料理】
加賀・石亭は、金沢を中心に多店舗展開している浅田屋の旗艦店として有名な料亭です。
卯辰山の松魚亭・ステーキ六角堂、金沢近郊の金沢国際ホテル、イタリアンのN365、最近、お茶屋町の東山にも蛍屋をオープンするなどドミノ展開をする事によってどの店に伺っても美味しい料理と高いサービスの質を維持しています。そのサービスの質は、料亭旅館浅田屋より生み出されたもので、原点を昇華し発展させた原動力が、この店なのです。
新鮮な食材、手入れの行き届いたたたずまい、そしてなによりその人柄があふれた料理に触れていただくことをお勧めいたします。
卯辰山の松魚亭・ステーキ六角堂、金沢近郊の金沢国際ホテル、イタリアンのN365、最近、お茶屋町の東山にも蛍屋をオープンするなどドミノ展開をする事によってどの店に伺っても美味しい料理と高いサービスの質を維持しています。そのサービスの質は、料亭旅館浅田屋より生み出されたもので、原点を昇華し発展させた原動力が、この店なのです。
新鮮な食材、手入れの行き届いたたたずまい、そしてなによりその人柄があふれた料理に触れていただくことをお勧めいたします。
食べて欲しいという気持ちが大事、来ていただいた人に「美味しかった。」「また来るよ。」と言っていただくことが私たち調理場のスタッフの喜びです。
朝早くから夜遅くまで働いてもらっているスタッフには身体は辛いかもしれませんが、それに勝るお客様の喜びの声が調理師としての技術と人間形成の向上に役立つと指導しています。一番大事なことは、お客様に美味しいものを食べて欲しいと思う「心」なのです。熱く語る小村勇調理長
この店にお世話になってからもうじき30年がたとうとしています。もうそろそろ自分のことより、社員のことや金沢という地域社会に恩返しする時期にきている事を痛感しています。
夏にはこの中庭で流しソーメンが行われ、家族連れで賑います。
金沢独特の赤い壁(紅殻)は、寒い冬・雪の中から部屋の中に入ってきた時少しでも暖かく感じられるよう考えられ広がってきました。
足落としの部屋にさりげなく飾ってあったのは作家物でした。
日本人の生んだ坪庭は、癒しのスペースです。
最近ブレイクしている昼の5500円の懐石 (サービス料込み)
予約なしで召し上がれます。
予約なしで召し上がれます。
★詳しくは浅田屋のHPへ